1961年、南海と巨人が戦った日本シリーズ。巨人の2勝1敗で迎えた第4戦に事件は起こった。
3対2、南海の1点リードで迎えた9回裏。巨人は粘り強く、2死満塁のチャンスを作る。マウンド上は救援登板のスタンカ。日本初の“3A級助っ人”であるスタンカは打者・宮本敏雄を2ストライク1ボールに追い込んだ。
ここでスタンカの投球は真ん中低めにズバリと決まった。捕手・野村克也は腰を上げ、南海の野手陣はゲームセットだと思い、マウンドへと向かった。
しかし、球審の円城寺満はボールの判定。野村もマスクを地面に投げつけて円城寺に詰め寄ると、スタンカもマウンドから全速力でホームに駆けつけ、「Why!?」と体を捩じらせ猛抗議。南海・鶴岡一人監督や内野陣も円城寺を取り囲んだが、判定が覆ることはなく、試合再開後に宮本が逆転サヨナラ打を放ち、巨人が劇的な勝利を飾った。
スタンカ‐野村のバッテリーの激怒はすさまじいもので、スタンカは宮本が放った逆転打のホームバックアップの際に、ドサクサに紛れて円城寺球審に体当たり。円城寺は倒れこみながらサヨナラのセーフを宣告した。
この判定はアンチ・巨人の燃える魂に油を注ぎ、「円城寺 あれがボールか 秋の空」の詠み人知らずの句が社会的に流行したと伝わる。
1982年、2勝2敗で迎えた西武対中日の第5戦。一塁塁審の村田康一が球史に残る騒動を巻き起こした。
3回表、中日の攻撃。2死二塁のシーンで中日・平野謙の打球は一塁線を破り、中日が先制したかに思われた。しかし、打球が一塁塁審の村田の足を直撃。二塁手方向へボテボテと打球は転がり、二塁・山崎裕之が三塁送球。ホームインを狙っていた田尾安志はオーバーランから戻り切れずに三塁でタッチアウト。限りなく不運な形で攻撃終了となった。
この試合後、マスコミに心境を聞かれた村田は「石ころ!」と一言だけコメント。それが「審判は石ころと同じ」という共通認識を生み出した。
しかし、塁審に打球が当たったケースのすべてがボールインプレーになるわけではなく、例外がある。稀ではあるが内野内(一塁、二塁、三塁よりホーム寄り)で審判にボールが直撃した場合、ボールデッドとなるのだ。
1982年のケースでは村田は一塁後方=外野に陣取っており、公認野球規則にある「内野手(投手を除く)を一旦通過」を満たしているため、ボールインプレーとなったのだ。
「ルールの番人」としての判定は正しかった……。
2012年の日本ハム対巨人の第5戦、「世紀の大誤審」と呼ばれる事件が起きた。
4回表無死一塁、巨人の攻撃。日本ハム・多田野数人の投球は内角高めへ。バントを試みようとした巨人・加藤健は胸元を突かれ、バットを引きながら倒れこんだ。
球審の柳田浩一は一度ファウルの判定を下したが、加藤健はなぜか頭を押さえて痛がり、原辰徳監督が「頭部死球ではないか?」と抗議。すると判定が一転。多田野は危険球退場となった。
しかし、テレビでのリプレイ映像は紛れもなく頭部死球にはあらず。退場になった多田野は「騙す方も騙す方。騙される方も騙される方」と怒り心頭だった。
ホームランとホームのクロスプレーに限定されるビデオ判定だが、こういった極めて微妙な場面では採用されるべきではないだろうか。そんな議論を巻き起こすシーンだった。
文=落合初春(おちあい・もとはる)