日本野球に挑戦する《ヨンデル・ラミレス》あの大物の甥っ子が目指すNPBと、いま・独立リーグ
以前書いた記事で、現在NPBだけでなく、独立リーグにもジャパニーズドリームを目指して、様々な国から外国人選手がやってきている、と報じた。その中で、独立リーグの場合、外国人選手の獲得は、単なる戦力補強だけでなく、球団の自らの価値向上や営業上の戦略とも密接にかかわっており、各球団間に特色がみられるとした。
その特色が顕著なのがルートインBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスだ。今シーズンの外国人選手6人全員がベネズエラ人。その中にはNPBでも活躍した、レビ・ロメロ(元巨人ほか)、エンジェルベルト・ソト(元中日ほか)やメジャーでシーズン33本のホームランを記録したこともあるジョヘルミン・チャベスなどの大物もいる。そんな彼らに交じって、高校を卒業したてのベネズエラ人ルーキーが、NPB目指して腕を磨いている。
☆日本語はすでにお手の物!
5月4日の新潟での試合、群馬ベンチ横にあるカメラマン席に1人の外国人選手が陣取っていた。この日は出番が予定されていないのか、フィールドを見つめながらチームメイトに声援を送っている。
「コモ・テ・リャーモ?」。スペイン語で名を聞く私に、「日本語で大丈夫ですよ」という流暢な返事が返ってきた。彼こそが、ヨンデル・ラミレス。あの「ラミちゃん」ことアレックス・ラミレスの甥っ子だった。
ベネズエラの首都カラカスで生まれた彼は、9歳で野球に出会い、2012年、15歳の時に、日体荏原高に野球留学した。その決断の裏には、やはり日本で成功を収めた叔父のアレックス・ラミレスの存在があるという。その叔父は、留学に際して資金面でバックアップをしてくれた。
「ヤバかったですね」
来日当初の生活について、端的にこのフレーズで表現してくれた(彼の口癖なのだろう)。なにしろ最初は日本語などさっぱりわからない。教室に座っていても、先生が何を言っているのか理解しろという方が無理な話だ。それでも徐々に日本語を理解していき、出された課題などをこなして、学業の方はなんとか卒業にこぎつけた。今では学校の科目にある英語より日本語の方がよほど得意だと言う。
☆活躍するまで母国には帰らない覚悟
日本の体育系クラブの空気に慣れるのも大変だった。母国ベネズエラは年長者とも比較的フラットに接するお国柄。入部当初は、野球部特有のタテの関係が理解できなかった。異国での6人部屋での寮生活が10代の少年にとっていかなるものだったか、想像に難くない。
しかし、今では敬語も完璧にこなす。チーム最年少の彼が先輩と話す様は、すっかり体育会系運動部員だ。
高校の3年間、ベネズエラに帰ることは一度もなかったという。冬はプロという夢をつかむため、ひたすらトレーニングに励んでいた。その甲斐あって、ストレートのスピードは140キロ近くまで上がった。
来日当初の目標であった甲子園出場は残念ながら叶わなかったが、日本でプロ野球選手になる、という究極の目標を叶えるため、卒業を前にしてプロ志望届を出した。NPBのドラフトにはかからなかったものの、叔父が在籍していた群馬ダイヤモンドペガサスの門を叩き、NPBを目指す。
カラカス出身ながら、地元チームのライバルであるマガジャネスのファンだと笑うが、その母国リーグでプレーすることは、今は頭にはない。
「メジャーは最終的な夢。でも、日本で、NPBでプレーしたいですね」
と未来予想図を語る彼は、現在、高崎で1人暮らしをしている。
「ほかのベネズエラ選手も近くに住んでいるから大丈夫ですよ。みんな歩いて5分ほどのところにいますから」
チームでは、彼ら同胞のため通訳もしているという。5月15日現在、中継ぎとして4試合に登板し、防御率4.15。当面は、現在のリリーフから先発のマウンドに上がることが目標だ。かんばれ、ラミレス。
■ライター・プロフィール
阿佐智(あさ・さとし)/1970年生まれ。世界放浪と野球観戦を生業とするライター。「週刊ベースボール」、「読む野球」、「スポーツナビ」などに寄稿。野球記事以外の仕事も希望しているが、なぜかお声がかからない。一発当てようと、現在出版のあてのない新刊を執筆中。ブログ「阿佐智のアサスポ・ワールドベースボール」(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/gr009041)
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