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高校球児コース別プロ入り物語 海外留学で甲子園を目指す! 留学生選手たちに迫る

 今季初、自身7度目の先頭打者アーチが6月12日、札幌ドームの左中間スタンドに突き刺さった。チームの3カードぶりの勝ち越しに大きく貢献した、日本ハム不動の1番打者、陽岱鋼の一発だ。昨季はケガの影響もあり、86試合出場で打率.259と不本意なシーズンを過ごした陽岱鋼。今季は打率10傑入りもうかがう打棒でチームを牽引している。

 高校球児【コース別】プロ入り物語・ユニーク篇。今回は、陽岱鋼に代表される、海外留学で日本の高校野球を経験した異邦選手たちを振り返ってみたい。


険しく、狭き門の「留学生プロ野球選手」


 祖国を代表して高いレベルの野球を経験したい、と来日する者。衛生中継で見た日本の高校野球と「甲子園」にあこがれて来日する者。理由はそれぞれだが、全国各地で海外からの留学組は増加傾向にあるという。

 ただ、そのままプロに進めるか、というとまた別問題だ。現役プロ野球選手では、金無英(山口・早鞆高出身/楽天)、金伏ウーゴ(栃木・佐野日大高出身/巨人)、李杜軒(岡山・岡山県共生高出身/ソフトバンク育成)、呉念庭(岡山・岡山県共生高出身/西武)などまだ数えるほど。

 そもそも、甲子園に出場してプロでも活躍、という事例は過去を見渡してもほとんどない。瀬間仲ノルベルト(宮崎・日章学園高出身/元中日)は2002年夏の甲子園でのホームランが印象深いが、プロでは一軍出場機会のないまま引退している。

 ここまで名前を出した現役選手たちも、瀬間仲以外はすべて甲子園未出場。プロでも「結果を残した」とはまだ言えない選手たちばかりだ。

 そんな中、唯一の例外、ともいえる活躍ぶりを見せているのが陽岱鋼だ。その違いはいったい、どこにあるのだろうか?


運も家族も味方した陽岱鋼の挑戦


 親戚には台湾プロ野球で活躍した選手も多く、兄・陽耀勲も元ソフトバンクの選手という、まさに野球一家で育った陽岱鋼。自身も小学校時代から台湾代表としてプレーするなど、陽一族として恥じない幼少時代を過ごしていた。

 そんな陽岱鋼が、中学卒業後に選んだ進路が、福岡第一高校への野球留学だった。理由はいくつもあったが、小さな頃から「甲子園」にあこがれがあったこと、そして、2歳上の敬愛する兄・陽耀華が福岡第一高で活躍していたことが大きな決め手だった。

 入学後、すぐにショートのレギュラーになった陽岱鋼は、4番の兄・陽耀華の後を打つ5番打者として活躍。夏の福岡大会では1回戦から3試合連続ホームランを放つなど、鮮烈なデビューを飾った。だが、2年夏、3夏とも西日本短大付属高に敗れ、甲子園出場は叶わなかった。

 それでも、高い身体能力が評価され、2005年秋、甲子園出場経験のない選手としては異例ともいえる競合ドラフトで、日本ハムが交渉権を獲得した。

 この指名には、大きな「運」も働いていた。実は2004年まで、外国籍留学生がドラフトで指名されるためには、「日本移住期間5年以上」がひとつの条件だった。ところが、陽岱鋼が高校3年になった2005年から、「日本移住期間3年以上」に短縮されたのだ。このルール変更があったからこそ、陽岱鋼は高校から即、プロ野球入りを果たすことができたのだ。


虎となって天下を取る


 期待の高卒ドラ1ルーキーだった陽岱鋼。だが、最初の4年間は1軍ではなかなか結果を残すことができなかった。

 それでも、競争激しい日本ハムで台頭することができたのは、陽岱鋼が変化を恐れなかったからだ。

 元々、ショートとしてプロ入りした陽岱鋼だったが、強肩と俊足を見込まれて2009年から外野手にコンバート。小学校時代からショートを守ってきたこだわりもプライドもあったが、「どうしても試合に出たい」と、このコンバート提案を受け入れたのだ。

 また、この2009年から本名を「陽仲壽」から「陽岱鋼」に改名。「岱」とは虎が山に入る、とう意味。「鋼」は金や強さを表す文字だ。「虎となって天下を取る」───そんな決意表明の表れだった。

 これでダメなら引退する。そんな決意で臨んだ2010年、稲葉篤紀の一塁転向などもあって外野手のレギュラーに定着し、過去最高の109試合に出場。以降、日本ハムの鉄壁外野陣の一角を形成し、2013年には盗塁王も獲得するまでに至ったのだ。


進化のために、変化を恐れない


 レギュラー定着後も、陽岱鋼の変化を恐れない生き様はそのままだ。中島裕之、糸井嘉男(オリックス)、内川聖一、松田宣浩(ソフトバンク)、角中勝也(ロッテ)、山崎武司(元楽天ほか)など、リーグを代表する選手たちのバッティングフォームを研究し、いいところはどんどん取り入れ、わからないところは他チームであっても大先輩であっても積極的にアドバイスを求めて回った。

《誰かにアドバイスをもらうと、すごく新鮮で前向きな気持ちになれるので、すぐにやってみます。変えることは怖くありません。良くなる可能性に期待して、素直に試してみたくなりますね。なぜなら、常に進化していたいからです》(自著『陽思考』より)

 結果、本塁打は2014年に25本塁打、盗塁は毎年二ケタを記録するなど、トリプルスリーに近い男として、リーグを代表する選手になっている。

 文化・風習の違い、言葉の問題、プレースタイル……外国籍留学生が克服すべき壁や課題は、同世代の日本人選手よりも数多い。それでも結果を残すために必要なことは、陽岱鋼が実践してきた「進化を恐れず変化し続けること」なのではないだろうか。もっともそれは、国籍問わず、すべての野球人に共通することなのかもしれない。


文=オグマナオト(おぐま・なおと)

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