明徳義塾高では1番・二塁手で、のちに投手も兼ねる。打って走って守って投げて、まさに野球の申し子。拓殖大、Hondaと投手に専念し、ふてぶてしいまでのマウンドさばきでエースになった。マウンドの傾斜を利用して、グイッと前に乗り込める。その場で投げる「野手投げ」ではなく、理想的な投手の投げ方そのもの。それでいて投げ終わったら「9人目の野手」として、元二塁手の俊敏さを生かす。なんでもできる野球エリート。それが社会人時代の石橋良太(楽天)のイメージだった。
インタビューでは苦戦を強いられた。警戒心が強いのか、なかなか話に乗ってこない。言葉には出さないが、「俺のこと、本当にわかってんのか?」といった目で、こちらを見てくる。たまに膨らみそうな話題の糸口を提供してくることもあった。だが、それに乗ろうとすると、石橋はヒラリと身をかわす。まったくもって踏み込ませてもらえない。投手でありながら「憧れの選手は、明徳の先輩、森岡良介さん(元中日ほか)だけです」と言い放つ。
ただ、こういうタイプがプロで成功するというのも、これまでの経験則で感じていた。用心深く、プライドが高い。簡単に心を開かず、ある程度のところまでしか踏み込ませない。こっちが下手な質問をしようものなら、取りつくしまもない。インタビューを終えて、打ちのめされたような気分でHondaの寮を後にしたことを、今でも覚えている。
この「踏み込ませない」感じは、マウンド上でもいかんなく発揮される。得意のカットボールに不規則に揺れるツーシーム、落ちるチェンジアップに大きなタテのカーブを織り交ぜながら、ときとして150キロ近いストレートが牙をむく。勢いのある球に、打者は差し込まれる。不敵な笑みを浮かべる石橋は、天性の野球上手で、根っからの勝負師なのだろう。
たまに勝ち気になり過ぎるところも投手らしかった。ドラフト指名直後の日本選手権で、石橋を擁するHondaは決勝まで勝ち進んだ。決勝のマウンドにはエースの石橋。2対1、1点リードの9回裏、あとアウト2つの場面から同点に追いつかれ、最後は日本生命の2番・福富裕にストレートをとらえられてサヨナラ負けを喫した。駆け引きの道具を数多く揃え、冷静に相手を見ながら投げ進めていても、勝負どころでは「ねじ伏せてやる」といった色気が顔を出してしまう。それも含めて石橋らしい試合だったと記憶している。
石橋が指名された2015年は、1位のオコエ瑠偉を筆頭に、楽天が野手ばかりを指名した年だった。本指名の7人中で唯一の投手が5位の石橋だった。おそらく下位で即戦力の石橋を確保できる見込みがあったから、このような思い切った指名に踏み切ったのだろう。石橋には「中継ぎで年間50試合」ぐらいが期待されていたはずだ。ところが、石橋はプロで苦戦した。1年目はファームでは好投するも、1軍ではわずか6試合の登板に終わる。2年目は1軍登板がなく、3年目には育成契約の屈辱も味わった。
石橋を評価していない人は「ホームベース上でボールが少し弱い」と言っていた。またある人は「ああいうプライドの高い子は、プロに入って満足しちゃうところがある」とも言っていた。「カットボーラーにしては、ちょっとアバウトなところが、プロでは致命傷になったのかも」と見る人もいた。ケガがちなところはあるが、絶対に活躍できる選手だと信じていたのに……。
そう思っていると、4年目の今年、先発ローテーションに定着し、チーム2位の8勝をマークした。イニング数も規定投球回には及ばなかったものの、127回1/3と先発でしっかりと試合を作った。交流戦で話題になった走塁も、かつて甲子園を沸かせた「野球の申し子」らしかった。
聞くところによると、今年はシュートを覚えて飛躍したという。やはり石橋は踏み込ませない投手なのだろう。勝手な解釈かもしれないが、そう思っている。
文=久保弘毅(くぼ・ひろき)