誤審については、日本のプロ野球界だけでなく、メジャーリーグでもその対策が強化されてきた。
2014年から導入されたチャレンジ制度は、数億円のハイテク機器を使い、可能な限り公平なジャッジを目指す。
導入後、毎日のようにチャレンジの権利が行使され、審判の判定が覆るケースが続出している。
ただし、チャレンジが行使されると、ファンが楽しみにしているベースボールは一時中断。ハイテク機器対審判のジャッジ対決をファンは否応にも見せられることになる。
そして審判はこの戦いに負けると、あたかも判定能力がない駄目な奴として罵声を浴びせられるのだ。そこにはもう、審判として長年鍛錬を積んだ功績はすべて消え去り、屈辱感のみが襲いかかることになる。
ベースボール発祥の地・アメリカでは、最初の審判は神父様が勤めたとされている。
当時、神父様のジャッジが常に的確であったとは思えないが、判定に左右されることなく、ベースボールが楽しまれていたであろうことは、想像に難くない。判定に抗議するものなど、誰もいなかったのだ。
「いつの時代も人が判定すればミスは必ず起こる」
もし正確な判定だけを求めるならば、ハイテク機器への投資額は莫大なものになるが、人である審判をすべて排除しゲームを行えばよい。
IoT(モノをすべてインターネットにつなげる)の技術を使えば将来不可能なことではないであろう。
日本プロ野球界で長年審判として活躍された平光清氏(故人)が以下のような言葉を残されている。
「人間が行うプレーを人間がさばいていくからドラマが生まれる」
渾身の力を込めて投げる気持ちの入ったボールが、ベース上から少し外れているように見えても、球審はストライクをコールすることがある。
「選手と選手が気持ちでぶつかり合う」
これも野球の醍醐味だ。この気持ちの勝ち負けは、どんな高価なハイテク機器でも見抜けない。
審判と言う“人”がさばいてこそ、成せる技なのだ。
文=まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子供のころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。