振り返ると2014年4月、インフルエンザでの登録抹消が悲劇の序章だった。1軍再昇格後も救援失敗を繰り返し、シーズンが終わってみれば、わずか9試合の登板で防御率8.22。クローザーの座を、駒澤大の後輩・増井浩俊に明け渡してしまう。
昨季は3月に左ひざ、8月に右ひざを立て続けに手術した影響もあり、プロ入り後、初めて1軍登板ゼロという事態に。その結果、年俸は……
・2013年オフ更改:2億4000万円
・2014年オフ更改:8000万円
(67%減の1億6000万円ダウン)
・2015年オフ更改:1800万円
(78%減の6200万円ダウン)
実に2年間でなんと13分の1という大幅減俸を、受け入れざるを得なかった。
それでも武田は前向きだ。2年連続で年俸減額制限を超えたダウン提示。しかし、期待をかけてくれた球団には感謝の気持ちを示し、リハビリなどでお世話になっている周囲の人達のために、もう一度1軍のマウンドに立ちたいと、今後の意気込みを語っている。
今年2月、沖縄・国頭での2軍中心の春季キャンプでは、半年ぶりにブルペン投球を解禁。オープン戦での実戦復帰を見据えて、準備はもう始まっているのだ。
そんな武田の趣味は、球界では珍しいオートレース。競馬や競輪に並ぶ公営競技の一つで、公営競技中最速の時速150キロものスピードで競い合うモータースポーツだ。
武田は、単にレース場に足を運ぶだけにとどまらず、年末のビッグレースには、テレビ中継のゲストとして呼ばれるほどの入れ込みぶり。オートレースファンにとっては、武田が年末の風物詩となっているのだ。