そんななか、シーズン当初から「勝利の方程式」の枠外にいるものの、地味にチームの勝利に貢献している男がいる。
安藤優也、38歳。
2001年に自由獲得枠で阪神に入団した生え抜きのベテランだ。
安藤は入団以来、その時々のチーム事情に合わせ、中継ぎ、抑え、先発と配置転換され続け、15年のときが経過した。
今シーズンも、ひっぱくしたリードの場面、大量リードされた負け試合、ワンポイント、回またぎと、使い勝手よく、さまざまな役を務める。
とはいえ、8月10日時点で、登板数38試合、防御率1.64は、リリーバーとして活躍した入団2年目の登板数51試合、防御率1.62に匹敵する数字だ。
もちろん38歳でマウンドに登る安藤の球のキレは、若かりし頃には及ばない。だが、与四死球の数は2003年が21個なのに対し、今シーズンはここまで10個。抜群のコントロールが安藤を支えていることは、間違いない。
プロ入り前の安藤を振り返ってみよう。
法政大時代は通算7勝4敗とプロを意識させるほどの存在ではなかった。卒業後は地元・大分銀行に内定が決まり、軟式野球に転向する予定だった。
しかし、高橋由伸(当時慶應義塾大)に東京六大学リーグ通算最多本塁打記録となる23本目の本塁打を被弾したことが心残りで内定を辞退。トヨタ自動車で、改めて本格的に野球に取り組む。
このとき義理を欠いた大分銀行には、プロ入団時の契約金1億円を預金。また、契約金で高級外車に乗る選手が多いなか、安藤はいまでもトヨタの車に乗る。安藤の人となりをあらわすエピソードだ。
そんな安藤の心を痛めたのが、調子の出なかった数年前、甲子園球場に「ピッチャー・安藤」が告げられた際にスタンドから漏れた何ともいえないファンのため息だった。
「まだ投げてもいないのに」
リリーフとして打ち込まれることが多かった安藤への、ファンの正直な気持ちではあったが、義理堅く心優しい安藤には、そのため息が心に突き刺さった。
故障を乗り越え、2013年以降3年連続で50試合登板を重ねてきた安藤。今シーズンもチームが必要とすれば、どんな状況でも登板し結果を残す。
安藤が「勝利の方程式」に組み込まれることはおそらくないが、ファンの心には安藤の存在がしっかり刻まれていることは確かだ。
文=まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子供のころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。