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1979年の広島カープと高橋慶彦 〜俺たちは仲良し集団ではない。だが信頼関係はある〜


 技術論もトレーニング方法も体のケアも、格段の進歩を遂げている昨今のプロ野球。だが一方で、失ってしまったものもあるように思えてならない。

 試合中継や球場での観戦で、ときに違和感を覚えるのは選手同士の仲の良さ。味方同士だけでなく、敵チームとも談笑するシーンが象徴的だ。侍ジャパンが創設され、選手の移籍も多くなったいま、それは当たり前の光景ともいえるが、「戦う集団」としてはどうなのか?

 だからこそ思う。群れずとも、一人の力で打開していく。そんな「アウトロー」のエッセンスが、今の球界に欠けているのではないだろか。かつてプロ野球を盛り上げ、ドラマをつくりあげてくれた勝負師・アウトローたちの魅力を振り返りたい。

カープ不動の1番ショート、そして背番号2


 今年、セ・リーグを独走状態の広島東洋カープ。神ってる男・鈴木誠也、2000本安打・新井貴浩、日米通算200勝の黒田博樹と、話題にも事欠かない。そんなカープにあって、「不動の1番ショート」としてチームの切り込み隊長を担っているのが背番号2の田中広輔だ。

 カープ不動の1番ショート、そして背番号2……。それは、かつてカープ黄金期を牽引した男、高橋慶彦の再来のようでもある。

 「高橋慶彦」。その名は、昨年も球界を賑わせた。西武・秋山翔吾の31試合連続安打フィーバーの際、それでも超えられなかった金字塔・日本記録の33試合連続安打の達成者としてだ。

 その連続試合安打日本記録が生まれた年が1979年。広島が2度目のリーグ制覇を成し遂げ、初の日本一に輝いた、まさにカープ黄金期の幕開けを告げた年だった。


カープ黄金時代を牽引した男


 広島が初めてセ・リーグを制したのが、高橋慶彦が入団した1975年。前年まで「3年連続最下位」という、負け続けてきた男たちが、勢いと若手の台頭で掴んだ「奇跡の優勝」ともいわれた。だが、翌年からは3位、5位、3位と後退。また、暗黒期に戻ってしまうのか? そんなカープに、再び「勢いと若さ」をもたらしたのが当時23歳、入団5年目の高橋慶彦だった。

 1979年6月6日、ナゴヤ球場で行われた中日戦でヒットを放つと、7月31日、広島市民球場での巨人戦で33試合連続安打の日本新記録を達成。この年、高橋は55盗塁をマークして盗塁王を獲得するなど、まさにリードオフマンとしてチームを牽引。そんな若武者の勢いに押されるように勝ち続けた広島は4年ぶりの優勝を果たしたのだ。

 1979年の広島といえば、「江夏の21球」で初の日本一を達成したことがあまりにも有名。だが、日本シリーズを牽引したのは、実は江夏ではなく高橋。全7試合で安打し、打率.444と打ちまくってシリーズMVPを獲得した。日本一の立役者は、間違いなくこの男だったわけだ。

 高橋は翌1980年も盗塁王の活躍で、チームの日本シリーズ2連覇に大きく貢献。この1979年、1980年の広島以降、日本シリーズを連覇したセ・リーグ球団は存在しない。それほどまでに当時の広島は強く、そして、その象徴が高橋慶彦だった。

野球がしたかったから。それだけ


 高橋がショートのレギュラーを獲得したのは、入団4年目の1978年。投手としてプロ入りしたことを鑑みれば、急激な成長曲線だ。それはひとえに、想像を絶するまでの猛練習の賜物だった。

 プロ入り後、古葉監督の「足を生かせ」のアドバイスからスイッチヒッターを目指した高橋。9歳で野球をはじめてからプロになるまでの10年間、右打席でしか打ったことのなかった高橋は「右と同じだけバットを振り込めば、左でも打てるようになるはず」と、まさに寝る間も惜しんでバットを振り続けたのは有名な話だ。

 1日のタイムスケジュールを細かく見直し、空いているスキマ時間にいつでも素振りができるように、常にバットは手の届く位置に。寮では室内練習場を占拠。ひとり黙々とマシン打ちを繰り返したという。

 なぜ、周囲も引くほどの猛練習に耐える事ができたのか? そんな疑問に、高橋は以前、「週刊野球太郎」のインタビューでこう答えている。

《野球がしたかったから。それだけ。(中略)ベンチにいて見ているだけだったら、それは野球じゃないから、頑張ってレギュラーにならないと、野球ができないでしょ?》

《野球って、数字がすべてのシンプルな世界だから、ラクな面があるよね。そこに人付き合いとか感情が入る余地はない。ある意味、普通の社会人より易しいかもしれないね》

《覚悟を決めて挑むこと僕は必要だと思う。それが結果的に失敗になってしまったとしても、得るものは必ずあるよ。(中略)自分が納得のいくところまでやったことは、絶対に無駄なことはないからね》

 ストイックにひとつのことを極める様も、アウトローには欠かせない要素だ。


1+1=2以上の力を発揮するアウトロー集団


 ただ、もうひとつ付け加えると、当時の広島はそんなアウトロー的側面のある選手たちの集団だった。だからこそ、強かった。こちらも、以前の「週刊野球太郎」でのインタビューから。

《強かった頃のカープ? 仲悪かったよ。いや、そうじゃないな。周りもライバルという緊張感があった。(中略)みんな自分のことで必死だったから、関心が無かったのよ。それぞれが単体だったから。「おててつないで」じゃないからね》

《僕らの頃は本職揃いだった。だから極端な話、監督いなくても試合できたもん。自分たちの役割が決まっていたから、状況によって今、自分のすべきことを迷わずすることができるんだよね。(中略)それは、レギュラーだけじゃなくて、代打にしても2番手、3番手とも同じだよね。「ここはオレだな」って思える役割があった。そういうときの選手は、1+1=2以上の力を発揮するものだよ》

 仲良し集団ではない。だが、技術と信念に裏打ちされた信頼関係がある。これこそが、今の野球界にもっとも欠けている要素なのではないだろうか。今年の広島が強いからこそ、なぜか思い出してしまう男、それが高橋慶彦だ。


文=オグマナオト

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