甲子園においては絶対的エースの存在がチームを頂点に導くケースが多い。1998年春夏連覇の横浜・松坂大輔(ソフトバンク)、2012年春夏連覇の大阪桐蔭・藤浪晋太郎(阪神)が、その代表例として挙げられる。
しかし、春夏連覇を成し遂げた両投手でも連続試合完封勝利数を伸ばすことは難しく、2試合連続が最多となっている。
それでは、連続完封の記録を見ていこう。甲子園の長い歴史のなかで、5試合連続完封勝利が夏の甲子園において2度記録されている。この偉業を成し遂げたのが1939年の嶋清一(海草中、現向陽)と、1948年の福嶋一雄(小倉中、現小倉)だ。2人とも45イニング連続無失点で大会を投げきり、チームを優勝に導いている。
時代が違うとはいえども、投手が疲弊し、相対的に打撃力の高まる夏の甲子園での5試合連続完封勝利はあっぱれだ。
嶋はこの大会の準決勝、決勝と2試合連続でノーヒットノーランも達成。明治大学進学後、太平洋戦争で戦死という人生を歩んだが、甲子園伝説で真っ先に名前が挙がる大投手だった。
終戦間もない頃に甲子園ヒーローとなった福嶋は高校卒業後、早稲田大学を経て、八幡製鐵でプレー。都市対抗野球優勝に貢献した。
2人ともその功績を讃えられ、野球殿堂入りを果たしている。
一方、センバツでは5試合連続完封を達成した投手は不在。4試合連続完封は1938年に野口二郎(中京商、元阪急ほか)、1940年に大島信雄(岐阜商、元中日ほか)、1952年に田所善治郎(静岡商、元国鉄)、1965年に平松政次(岡山東商、元大洋)の4人が達成している。
野口はプロ通算12年で237勝、平松は通算18年で201勝と大活躍。野球殿堂入りを果たしている。
また、田所は国鉄での12年間で2ケタ勝利を2回達成。大島は松竹でのルーキーイヤーに20勝4敗、防御率2.03で最優秀防御率、最高勝率をマークし、新人王を受賞。通算6年の短い現役生活だったが、64勝を挙げている。
連続完封記録を達成する投手は、やはりプロ入り後も実績を残している。今夏の甲子園でも連続試合完封勝利に注目したい。
夏の甲子園で1試合における最多奪三振記録(9イニング)は、2012年に桐光学園の松井裕樹(楽天)が今治西戦で記録した22個だ。
しかし、松井がこの大会で記録した通算68奪三振は歴代1位ではない。夏の甲子園で1大会における最多奪三振記録を持っているのは徳島商の板東英二(元中日)。今となっては、タレント活動中の姿しかしらない方も多いだろうが、板東も甲子園のレジェンドだったのだ。
板東は1958年夏の甲子園に徳島商の絶対エースとして君臨。準々決勝・魚津商との延長18回引き分け再試合を含む6試合に登板し、83奪三振を記録した。この記録は60年近く経過した現在も破られていない。
翌1959年に中日へ入団した板東は、10年間の現役生活で77勝を挙げる活躍を見せた。
ちなみに、センバツで1大会における最多奪三振記録を持っているのは「元祖怪物」こと作新学院の江川卓(元巨人)だ。
甲子園初出場となった1973年のセンバツで4試合を投げて、60奪三振をマーク。準決勝で達川光男(元広島)がいた広島商に惜敗したものの、怪物と呼ばれた実力を全国に見せつける快投だった。
江川はご存じの通り、すったもんだした上で巨人入団を果たす。通算9年で135勝をマークした。
野手の記録を見るとやはり、PL学園・清原和博(元西武ほか)の数字が目立つ。センバツでの1大会における最多本塁打3本、夏の甲子園での1大会における最多本塁打5本ともに清原が記録している。
この記録は夏の甲子園では清原が単独首位だが、センバツでは清原のほかにも3本塁打を放っている選手が9人いる。
そのなかには、星稜の松井秀喜(元ヤンキースほか)、上宮の元木大介(元巨人)、享栄の高木浩之(元西武)、同じく享栄の藤王康晴(元中日ほか)、PL学園の阿部慶二(元広島)などプロ入りした選手も名を連ねている。
当連載では、4回に渡って甲子園の記録を作ったプロ野球選手を取り上げてきた。もしかしたら、今夏の甲子園で記録を作った選手が10年後の大スターとなるかもしれない。未来のスター候補を見逃すことなく熱戦を楽しみたい。
文=勝田聡(かつたさとし)