こどもを野球好きにさせるには? 子供を将来野球選手にしたい! そんな親の思惑をことごとく裏切るこどもたち。野球と子育てについて考えるコーナーです。著者は、野球ライターのハリケンこと服部健太郎さん。実話を交えて、書いていただきます。お楽しみに。
◎父と野球
晩御飯を食べ終え、食後のコーヒーを入れていた妻が「そうそう」と前置きしながら話を切り出した。
「今日、5歳の息子に野球をやらせたいんだけど、ぜんぜん興味を持ってくれないって嘆くお母さんと話してたの。『服部さんのところはどうやって2人の息子さんたちを野球好きにさせたの?』って、聞かれたんだけど、うまく答えられなかったのよね。『強制的にチームに入れたら勝手に好きになってくれるのかなぁ』っていうから、少なくとも強制はしなかったよって言っておいたんだけど」
「子どもができたときから、野球はやってほしいけど、強制だけはせんとこうって言ってたもんなぁ」
「亡くなったお義父さんのことがあったからでしょ?」
大の野球好きだった父は、私が3歳の頃からプロ野球中継を一緒に視聴することを強要した。観戦を嫌がり、おもちゃ部屋に逃げこもうとする私に失望していた、という話は後年、母から聞いた。
5歳頃には野球にのめりこんでほしいという父の願望に気づいていた。キャッチボールやバッティング練習の誘いに乗って付き合うと、普段は怒りっぽい父がやけに機嫌がよかった。時には友達との遊びの約束を断ってまで父の誘いに乗ってあげていた。
しかし小学1年生になっても、野球は好きになれなかった。ウルトラマンや仮面ライダーは好きでたまらないのに、野球の楽しさはどうしてもわからなかった。
いつしか父の誘いに無理やり乗ることがストレスになっていった。父も私の気持ちを察したのか、はたまた諦めたのか、2年生になる頃には、以前ほどには野球、野球と口うるさくいわなくなっていた。
ところが小学2年生の中盤を迎えると、定期購読していた少年雑誌に連載されていた「アリンコ球団」というタイトルの野球漫画に影響され、私は突然野球のとりこになってしまった。あれほど父に強要されていたプロ野球中継も自らテレビ欄をチェックし、進んで見るようになった。
3年生になると地元の野球チームに自らの意思で入団した。この世で野球以上に楽しいことなんかあるのだろうかとさえ思った。
父は母に「まるでイソップ童話の北風と太陽みたいだな。あれほどおれが強い風を吹かせてもマントを脱がなかったのに、野球漫画という太陽はあっさりと脱がせてしまったぞ」と拍子抜けしていたらしい。
◎決意
そんな自身の体験もあり、30歳で第一子となる男の子を授かった際、私はある決意をした。
「絶対にこの子に野球を強制するのはやめよう。いくら強制したところで、好きになれないときはどうしたって好きになれない。それに、自らの意思で然るべきタイミングで好きになったほうがきっと『好きパワー』は強く爆発し、持続する。放っておいた結果、永遠に野球を好きにならなかったとしても、それは運命。野球を好きになってくれたらラッキーくらいの気持ちでいられる父親をおれは目指す!」と。
31歳のときに次男が生まれた。物心がつくと、二人はウルトラマンや仮面ライダー、戦隊ものシリーズにどっぷりとはまっていったが、まさしく自分も通った道。「大丈夫。きっとその時は来る!」と自分に言い聞かせ続けた。
ところが長男が幼稚園年長を迎えた頃になると、園内の同年齢の子で、積極的に公園で野球遊びに興じたり、プロ野球にやたら詳しい子がちらほらと現れ始めた。
「時を待とう。時が来なければそれまで」という固い決意が揺らぎ、焦りが生じ始める。
◎兄と弟
その子たちの親に「わが子が野球を好きになった理由」を訊ねた。上にお兄ちゃんがいるケースでは「野球をやっているお兄ちゃんの影響で自然と」が多く、第一子組は「家族で毎日のようにリビングでプロ野球中継を一緒に見ているうちに自然と」といった答えが多かった。 (つまりお兄ちゃんさえ好きになれば、弟は比較的高い確率で兄に影響されるということか…。ポイントはお兄ちゃんだな。しかしうちのリビングでもプロ野球中継は毎日ついてるんだけどなぁ…。なんであいつら見ようともしないんだろ)
もしかすると自分の子らには野球を好きになるDNAが組み込まれていないんじゃないだろうか。このまま待っていたって野球をする息子らの姿なんか永遠に拝めないんじゃないだろうか。そんな不安が日増しに大きくなっていった。
◎野球熱の噴火のきっかけ