徳島の海南高校時代、1964(昭和39)年春のセンバツで優勝投手となった尾崎。卒業後は西鉄ライオンズに入団するも、投手で2年間、打者で1年間で自ら限界を感じ退団。その後に転身したゴルフ界での活躍は周知の通り。賞金王12回は、今も残る最多記録である。もはや野球界とは縁が切れたのかと思いきや、マスターリーグが始まった2001(平成13)年、博多ドンタクズのメンバーとして3試合に出場、二塁打も放った。