2002(平成14)年オフにFA宣言するも、メッツとの契約寸前で破談となっていた中村紀洋。しかし、この2005年のオフはポスティングでの移籍。同年の2月2日に、マイナー契約ながらドジャースと合意した。しかしメジャーでの出場は17試合にとどまり、結果を残すことはできず、1年で日本球界へ復帰した。近年は浪人生活となっているが、2015(平成27)年5月には、少年少女向けの野球教室を開校、若い芽を伸ばすための活動もしている。