■2002年9月2日・巨人対広島(東京ドーム)
黒田がライバルに挙げる選手は、松井秀喜(元巨人ほか)をおいてほかにいない。
特定の打者に対して闘志を燃やすタイプではない黒田が、唯一「打たれたくない」と、心の底から思って対戦していたのが同学年のスーパースター「松井秀喜」だ。
2002年9月2日の一戦は、そんなライバル心が激しく交錯した名勝負となった。
4対3と広島リードの8回裏、2アウト一塁。一発が出れば逆転のピンチに出てきたライバル・松井に対して黒田の闘志は燃え上がった。
11球に及んだ熱投は、ストレートが7球にフォークが4球。最後はフォークで三振に斬ってとると、黒田は小さくも力のこもったガッツポーズを取った。その姿は、ふたりが放った緊迫感がファンにも十分に伝わるほどのものだった。
■2008年10月12日・ドジャース対フィリーズ(ドジャースタジアム)
リーグチャンピオンシップの第3戦、その先発マウンドには黒田の姿があった。1戦、2戦と連敗し、この試合を落とすと後がなくなるドジャース。そんな大事な試合の先発を任された黒田は、チームを奮い立たせる行為に出る。
それは、報復の危険球だった。
前の試合で、チームの主力ふたりが明らかなビーンボールを受けたことで、両軍は殺気立っていた。そんな状況で再びチームの正捕手、ラッセル・マーティンが死球を受けてしまう。
これで完全にヒートアップしたドジャースベンチ。異様な雰囲気が立ち込めるなか、黒田はシェーン・ビクトリーノの打席で明らかな報復に出た。
ビクトリーノの上半身付近を、黒田の150キロを超えるストレートが通過。この投球にビクトリーノも激高。両軍ベンチはさらに一触即発の危険な事態に陥った。
メジャーでは、死球に対する報復は常套手段。むしろ、やり返さないと舐められる。世界のトップ選手が集まるリーグでは、相手に舐められてしまったら終わり。
黒田が投げた最初で最後の危険球は、フィリーズに舐められつつあったドジャースを救う価値のある1球だった。
■2014年9月26日・ヤンキース対オリオールズ(ヤンキースタジアム)
この日の試合はヤンキースファンのみならず、全世界の野球ファンにとって特別な日だった。ヤンキースのキャプテン、デレク・ジーターにとってヤンキースタジアムでの最後の試合だったからだ。
そんな大事な試合のマウンドにたった黒田は、8回を2失点に抑える好投を見せる。来期の契約が未確定の黒田にとっても、ヤンキースタジアムでの最後の登板は可能性が高かった。
ジョー・ジラルディ監督は、黒田に「9回もマウンドに立ってファンに挨拶してはどうか?」と提案した。しかし、監督からの提案を黒田は固辞した。
「今日は僕の日ではない」
黒田はジーターへ敬意を表し、自身が目立つことは望まなかったのだ。黒田らしい男気エピソードである。
このように、黒田の道のりには幾多のドラマがあった。「男気」が話題になった黒田だが、その生きざまには常に「男気」を醸し出す要素が多分に含まれている。
次回登板ではなんとか日米通算200勝を達成してもらいたい。そして、達成後の次なる目標は、目下首位を独走する広島を優勝させることだ。日本では通算121勝もの勝ち星を挙げてきた黒田だが、日本での優勝経験はない。
広島を優勝させるべくメジャーのオファーを蹴って日本へ戻ってきた黒田。その「男気」の集大成は広島を優勝させることだ。
今度はその右腕で「優勝の感動」をファンに与える黒田博樹を見たい。
文=井上智博(いのうえ・ともひろ)