阪急ブレーブスの黄金期、1975年から3年連続日本一の時代を支えた二遊間はショートの大橋穣、セカンドのボビー・マルカーノだ。マルカーノ・大橋の二遊間は鉄壁と呼ばれた。
大橋は1972年に東映から阪急へトレードで移籍。東映時代から守備には定評があり、広い守備範囲と強肩が魅力の遊撃手だった。ダイヤモンドグラブ賞(ゴールデン・グラブ賞の前身にあたる賞)を、同賞が設立された1972年より遊撃手部門で7年連続受賞。ベストナインも1972年より5年連続で受賞している。
ベネズエラ出身のマルカーノは、米マイナーリーグを経て1975年に阪急へ入団。陽気な性格でナインやファンから愛された。1978年には打点王を獲得。ベストナイン4回、ダイヤモンドグラブ賞を4回獲得している。
大橋の後のショートは弓岡敬二郎だ。弓岡は兵庫県出身、東洋大姫路高から新日鐵広畑を経て、1980年のドラフト3位で阪急に入団。まさに地元の選手である。背番号は5。
弓岡は大橋とのショートのポジション争いに勝ち、新人ながら開幕スタメンとなり、このシーズンは全試合に出場した。1983年からは主に2番打者として活躍、3年連続でリーグ最多犠打を達成。1985年に記録した1試合4犠打はNPBタイ記録である。1984年にベストナイン、ゴールデン・グラブ賞をダブル受賞している(ゴールデン・グラブ賞は1987年にも受賞)。
弓岡に代わり2番打者を担うようになったのは、現オリックス監督の福良淳一だ。福良は1984年にドラフト6位で大分鉄道管理局から阪急に入団。2年目の1986年にセカンドのポジション争いに加わり、レギュラーの座を勝ち取った。
福良は1993年から1994年にかけて836回連続無失策記録を樹立した。これはNPBの二塁手としては最多記録である。1988年と1994年にベストナインに選ばれている。
オリックス・ブルーウェーブが1995年、1996年とリーグ2連覇した際に二遊間を守ったのは、前述の福良と小川博文、そして大島公一である。
小川は1988年のドラフト2位で拓大紅陵高からオリックス・ブレーブス(当時)に入団。1年目から弓岡らとのポジション争いに加わり、開幕をショートで先発出場。レギュラーを勝ち取った。
パンチのある打撃を買われたこともあり、その後はショートを中心にあらゆる内野のポジションを守った。ただ、それでも1991年にショートとしてベストナインに選ばれている。1999年には全打順での本塁打を達成している。
大島は1992年のドラフト5位で日本生命から近鉄に入団。セカンドを大石大二郎と併用されるほどの実力があった。1995年オフに近鉄からトレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍。オリックスでは主に2番・セカンドとして起用された。
1996年に神戸でリーグ優勝を決めた試合、イチローのヒットでサヨナラの本塁を踏んだ大島の走塁は印象深いシーンだ。ベストナイン2回、ゴールデン・グラブ賞は3回受賞している。
安達了一は、今シーズンは病気のため出場試合が昨年より減ったものの、ショートでの守備範囲の広さと正確性には定評がある。派手でアクロバットな今宮健太(ソフトバンク)にイメージでは負けるものの、ショートのゴールデン・グラブ賞は安達が取るべき、と内外からの評価は高い。打率.273はキャリアハイで、充実期を迎えているのではないだろうか。
一方、西野は今季2年目で、143試合に出場した。元々打撃はいいので、課題はセカンドの守備だろう。名手だった平野の守備を目指して、これから伸びていってほしい。
安達、西野の二遊間が鉄壁となり、他チームから恐れられるようになれば、自然とオリックスの勝利が近づいてくるだろう。来季はこの二遊間から目が離せない。
文=矢上豊(やがみ・ゆたか)
関西在住の山本昌世代。初めてのプロ野球観戦は、今はなき大阪球場での南海対阪急戦と、生粋の関西パ・リーグ党。以来、阪急、オリックス一筋の熱狂的ファン。プロ野球のみならず、関西の大学、社会人などのアマチュア野球も年間を通じて観戦中。