ヤクルトの山田哲人が9月6日の試合で今季30盗塁を記録。本塁打も既に33本、現在3割3分台の打率とあわせて「トリプルスリー」達成は確定的だ。
また、ソフトバンクの柳田悠岐も9月8日の試合で30本塁打に到達。打率はパ・リーグ首位、盗塁が現在28盗塁と、こちらも「トリプルスリー」達成が秒読みになっている。
プロ野球80年の歴史で過去に8人しか達成できていない偉業、「トリプルスリー」。それが一度に二人も、セ・パ同時に達成者が出そうなのだから、何とも貴重な時間を野球ファンは過ごしていることになる。
戦前、戦後のプロ野球で活躍した岩本義行。彼は「トリプルスリー第1号」以外にも数々の「第1号」を記録している。
プロ野球がセ・パに分裂した初年度である1950年、開幕2戦目である3月11日の中日戦で放った本塁打が「セ・リーグ第1号本塁打」であり、「セ・リーグ満塁本塁打第1号」だ。ちなみにこの日は岩本の38歳の誕生日。つまりは「セ・リーグ初のバースデー本塁打」でもあった。
また、翌1951年8月1日の阪神戦では史上初の1試合4本塁打を達成。ちなみに、1試合3本塁打を初めて打ったのも岩本だった。
そんなスラッガー・岩本の象徴だったのが、バットを胸の前に立てて構える「神主打法」。のちに落合博満(元ロッテほか)を始め数々の打者が取り入れた「神主打法」第1号が岩本だったのだ。
岩本が野球界に残した足跡として大きいものには、ほかに「最多塁打記録」、「最多死球記録」、そして「最年長本塁打記録」の3つがある。
上述した1951年8月1日、1試合4本塁打を記録した日に生まれたもうひとつの記録が「1試合18塁打」。4本の本塁打以外にも二塁打を1本打って達成した。これはいまだに破られていない1試合での最多塁打記録だ。
また、大洋に移籍した1952年には1シーズン24死球のプロ野球記録を樹立。これは2007年、当時オリックスのグレッグ・ラロッカが28死球で更新するまで、55年間日本記録だった。
その後、岩本は1953年のシーズン終了後に現役引退。ところが2年のブランクを経て1956年、44歳にして東映フライヤーズの選手兼監督として現役復帰する。そして翌1957年8月18日の阪急戦で本塁打を記録。45歳5ヶ月での一打は、いまだ破られないプロ野球最年長本塁打記録である。
話を、岩本が「トリプルスリー」を達成した1950年に戻そう。セ・パ分裂1年目のこの年、セ・リーグを制したのが岩本を擁した松竹ロビンス。そしてパ・リーグを制したのがもう一人の「初代トリプルスリー」別当薫がいた毎日オリオンズだった。
つまりは、日本シリーズでトリプルスリー同士の対決が実現したのだ。二人は日本シリーズでも活躍し、ペナントレースでの打棒がフロックではなかったことを証明してみせたことも付記しておこう。
さて、今季ここまでパ・リーグはソフトバンクが独走で首位。一方、セ・リーグはヤクルトが2位で首位阪神を猛追している。65年前同様、トリプルスリー同士の日本シリーズ対決となるのか? 二人の偉業実現とともに、対決視点でも残り一ヶ月のペナントレースを楽しんでみてはいかがだろか。
(文=オグマナオト)