シーズン終盤となり、引退を発表する選手も増えてくる時期。所属チームがBクラスだった場合はレギュラーシーズンがラストゲームとなるが、チームがCS進出を果たした場合は、もうひととき、ユニフォームを脱ぐ時期を先延ばしにすることができる。
2013年のシーズン終盤に現役引退を表明した阪神の“代打の神様”桧山進次郎もチームがペナントレースで2位だったため、ポストシーズンまで現役を続けることとなった。
ただ、広島との対戦となったCSファーストステージで、阪神は本拠地の甲子園で試合ができるアドバンテージがありながら、初戦を1対8で落としてしまう。あとがなくなった2戦目も、中盤から広島の波状攻撃を喰らい、9回表を終えた時点で4対7。そして、阪神ファンの祈りも虚しく、9回裏の攻撃も、先頭の代打・上本博紀、続く鳥谷敬と凡退し2死走者なし。敗色濃厚なのは、誰の目にも明らかだった。
ここで打席に立ったのは4番のマートン。そして、入れ替わるように、ネクストサークルには5番の俊介…ではなく、代打の準備で桧山が入る。
「せめて最後に桧山の打席が見たい」
これが阪神ファンの総意だっただろう。ただ、マートンが倒れればそこで試合終了。CS敗退となり、もう「代打・桧山」を見ることは永遠にできない。
右打席に入ったマートンと、一塁側ベンチ前で待機する桧山。目が合う。状況を一瞬で理解したマートンは、「絶対にヒヤマサンに回さないといけない」と強く思ったという。
そして、この回からマウンドに上っていた広島の守護神・ミコライオが投じた3球目を鮮やかにライト前に弾き返す。さすが、2010年には214安打(当時歴代最高)を放ったバットマンである。
一塁ベース上から「つないだから、あとは任せたぞ!」とばかりに、桧山へジェスチャーを送るマートン。場内アナウンスが代打を告げ、意気に感じて打席に入る桧山。勝敗を越えた山場がそこに訪れた。
桧山に対するミコライオの初球は、低めの153キロのツーシーム。これを冷静に見逃す。実はこの年、桧山はミコライオと2度対戦し、2三振と抑え込まれていた。しかし、1球見たことで冷静になれ、苦手意識が消える。そして、2球目。内角低めの154キロのストレートを完璧にとらえた打球は、タイガースカラーに染まるライトスタンドのポール際へ。これが、CS、日本シリーズを合わせて、ポストシーズンにおける史上最年長本塁打(44歳)となった。
桧山は、感触を味わうようにゆっくりダイヤモンドを回り、ホームベース付近で待っていたマートンとがっちりとハグを交わした。
この一発について、「22年間のなかでもあれほどうまくミートできた打席はない」と自著『待つ心、瞬間の力』(廣済堂出版刊)で述懐している。
この劇的なホームランが生まれたのは、もちろん桧山の勝負強さがあればこそだが、同時に、打たなきゃ終わりという場面でしっかりつないだマートンの技術と心意気もセットで記憶しておかねばなるまい。
このあと、後続が断たれ阪神の2013年は終了。同時に桧山の現役生活にもピリオドが打たれた。しかし、試合後にスタンドへ挨拶に回った桧山には、阪神ファンだけでなく、広島ファンからも大声援が送られた。
1990年代から2000年代にかけて、チームが病めるときも健やかなるときもタテジマのユニフォームでプレーしてきた生え抜き。22年間の現役生活に対する感謝のエールが止むことはなかった。
今年も新井貴浩(広島)、荒木雅博、岩瀬仁紀(ともに中日)、松井稼頭央(西武)らレジェンド級の選手が引退を表明。CS進出を決めたチームでは同僚からは「一日でも長く一緒にプレーしたい」というコメントが異口同音に聞かれる。CSを勝ち抜いて日本シリーズへと進み、「選手寿命」を伸ばすことができるか。勝負の行方に加えて、ぜひとも注目していただきたい。
文=藤山剣(ふじやま・けん)