1990(平成2)年オフ、落合博満と中日球団は契約更改の話し合いを重ねるも妥結に至らなかった。そこで落合は、日本人選手としては初となる年俸調停(正式には「年俸参稼調停」という)を申請した。2億2000万円の球団提示に対して、落合の希望額は2億7000万円。果たして、調停委員会が3月8日に出した答えは球団提示通りだった。このケースも含め、日本人選手の年俸調停は5回行われており、球団提示額を上回った回答が出たのは3回となっている。