今年の甲子園でも「小さな巨人」たちが奮闘している。
比叡山のショート・林陽斗が159センチ、上田西のセカンド・斎藤尊志が158センチ。二人とも身長150センチ台ながらレギュラーとして好守に懸命なプレーを見せてくれた。そして、この二人よりも小さい、今大会登録選手中、もっとも低い身長157センチの選手が花巻東の福地基だ。
花巻東の150センチ台選手、といえば、2年前の甲子園で156センチながらヒットを量産し、カット打法でも話題になった千葉翔太(現日本大)を思い出す人も多いだろう。トレーニング論や栄養学の進化で、190センチ台の選手も珍しくなくなり、タテにも横にも大きくなった近年の高校球児の中で、こうした“小兵選手”の活躍はなんだか嬉しくなってくる。そこで甲子園で躍動した過去の「小さな巨人たち」の伝説を振り返ってみたい。
【157センチ/元祖 小さな大投手・光沢毅(飯田長姫)】
1954年春、飯田長姫(現飯田OIDE長姫)のエースとして大活躍したのが、身長157センチの「小さな大投手」光沢毅。4試合でわずかに1失点という快投で長野県勢初のセンバツ優勝に導いた。
【165センチ/悲運の小さな大投手・田村隆寿(磐城)】
二代目“小さな大投手”は、1971年夏に準優勝した田村隆寿。準決勝まですべて完封勝利も、決勝戦では0−1で桐蔭学園に惜敗。甲子園で初めて許した1点に泣いた。後に安積商、母校・磐城を甲子園に導くなど、指導者としても活躍した。
【167センチ/プロでも活躍の小さな巨人・石川雅規(秋田商)】
三代目は1997年夏に出場した石川雅規。後にメジャーでも活躍する和田毅(現オリオールズ)と投げ合い、見事勝利。背の低い選手はプロに指名されにくいが、青山学院大時にはシドニーオリンピック日本代表として活躍し、ヤクルト入団後もコンスタントに勝ち続け、この定説を覆した。