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明石家さんまも参戦!?異色の野球人・木田優夫の最後の勇姿を見逃すな!

(※こちらの記事は9月11日に配信された記事です)

 独立リーグ・石川ミリオンスターズ所属、GM兼投手の木田優夫が9月14日に引退試合を行い、28年の現役生活に別れを告げる。前日には親交の深い明石家さんま氏も球場にかけつけ、臨時コーチに就任するという。日米球界、さらには芸能界でも活躍した木田優夫の異色の野球人生を振り返ってみたい。



甲子園未出場ながら巨人ドラフト1位


 木田は1986年のドラフトで巨人に1位指名され、プロ野球選手としてのキャリアをスタート。日大明誠高では一度も甲子園出場がなかっただけに、超異例のサプライズ指名だった。

 初勝利はプロ3年目、1989年4月29日の対中日戦。先発予定だった投手のケガによる突然の抜擢だった。当時、2軍でも勝利投手の経験はなかった木田。にもかかわらず、プロ初登板で初完投初勝利という偉業を成し遂げてしまう。ちなみに、この日に投げあった相手は、先日、プロ野球最年長登板記録を達成した山本昌(中日)。ともに前年フロリダへ野球留学し、切磋琢磨した間柄だった。

 巨人ではその後、先発・中継ぎ・抑えをこなせるユーティリティー投手として活躍。また、この頃から得意のイラストを武器に“木田画伯”としてテレビなどでも活躍するようになった。

代理人を介せず、自ら入団交渉


 1998年1月にトレードでオリックスに移籍。ここから、セ・パ、日米を股にかける流浪の野球生活がスタートする。翌年、FA権を行使してメジャーリーグのデトロイト・タイガースに入団。羽織袴で臨んだ入団会見はアメリカでも話題を呼んだ。

 木田が変わっていたのは、入団交渉において代理人を付けず、自ら直接交渉に臨んだこと。その際、球団選びなど様々な面でアドバイスを受けたのが野球評論家(当時)だった栗山英樹。後に日本ハムで監督と選手の間柄になるとは、お互いこの時点では知る由もない。

 その後、一度はオリックスに復帰するも、2003年以降は再び渡米し、ロサンゼルス・ドジャースとシアトル・マリナーズに所属した。ドジャースでは野茂英雄と石井一久、マリナーズではイチローや長谷川滋利らとチームメイトになっている。また、3Aのオールスター戦で登板したり、3Aで胴上げ投手になったりと、他の日本人選手ではまずないような変わった体験も数多くしている。

ダルビッシュが期待した男


 日本球界への復帰は2006年。当時、選手兼監督に就任した古田敦也監督に誘われ、ヤクルトに入団した。この年、監督推薦でオールスターにも出場。1990年以来16年ぶりの出場は「オールスター史上最長ブランク」という珍記録になっている。

 2010年には日本ハムに移籍。プロ入り以来、日米あわせて7球団目の所属チームだった。ちなみに2011年オフ、ダルビッシュ有がポスティングシステムで日本ハムからMLBへ移籍。記者会見での「残されたチームメイトで期待したい選手は?」の問いに「木田さん」とダルビッシュが答えたのが密かな自慢だという。

 残念ながらその期待には応えられず、翌2012年のシーズン終了後に日本ハムから戦力外通告を受けてしまう。現役続行を希望した木田が選んだ道が、日本の独立リーグ、BCリーグ・石川ミリオンスターズへの入団だった。

「投手兼営業、GM」という前代未聞の二刀流


 2013年、石川に入団した木田の肩書きは「投手兼営業」。プロ野球選手として現役生活を続けながら球団の営業活動も行うことになったのだ。

 この「営業」という肩書きは決してお飾りではない。練習や試合の傍ら、石川県内の企業を渡り歩き、スポンサー獲得のための営業回りや社内講演に励む毎日。さらに試合が近くなると駅前やショッピングモールに出かけてビラ配りをするなど、地道な活動も日々こなした。

 一方、選手としては「地元開催試合には毎試合出る」ことを公言し、勝ち負けに関係なくマウンドに登った。その結果、昨年はシーズン52試合登板というBCリーグ新記録を樹立。3勝1敗15セーブ、防御率1.76という好成績でチームの年間優勝と独立リーグ日本一に大きく貢献した。



 今季からは「GM兼投手」という肩書きに変わり、球団運営にも関わるように。その一方で、昨季オフにはNPB復帰を目指して12球団合同トライアウトに参加。ここで好投を見せたにもかかわらず合格できなかったこと。さらに今年7月末のNPB移籍期限までにどの球団からも声がかからなかったことで「現役引退」を決意したという。

 木田の28年に及ぶプロ野球生活の中でも特殊なのは、NPBとMLB、セ・リーグとパ・リーグ、アメリカンリーグとナショナルリーグ、日米のマイナー、そして独立リーグと、ありとあらゆるカテゴリーでプロ野球生活を経験したこと。将来的には指導者も目指したいという木田にとって、ほかに誰もいないこの経験値は大きなアドバンテージになるはずだ。再びユニフォームに袖を通す日を期待して、ひとまずは「お疲れ様でした」と言いたい。

(2014年9月11日/マイナビニュース配信)

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