岩隈、前田の両名に限らず、メジャーリーガーにとってこうしたチャリティー活動は一般的なものだ。それは、高給取りである、という理由ももちろんあるが、それ以上にロールモデル(社会の模範)としての振る舞いがアスリートに求められているからだ。
その象徴的な人物として知られているのがロベルト・クレメンテ。この機会にぜひ、その名を覚えておきたい
ロベルト・クレメンテはプエルトリコ出身。1955年から1972年まで、MLBのピッツバーグ・パイレーツ一筋でプレーした。首位打者4回、“史上最強”と誉れ高い強肩を武器にゴールドグラブ賞に輝くこと12回。さらにはリーグMVPだけでなくワールドシリーズMVPにも輝いたことがある、MLB史においてもひと際輝く偉大なプレーヤーだ。
ただ、その活躍以上に彼の名を知らしめたのがチャリティー活動だった。
1972年シーズン、最終戦で通算3000本安打を達成したロベルト・クレメンテ。それが、彼にとって生涯最後の安打となった。
かねてから奉仕活動に積極的だったクレメンテは、そのシーズン終了後、中米・ニカラグアで起きた大地震の被災者支援のため、救援物資を集めていた。ところが、その物資が途中で横流しされているとの情報をキャッチ。埒が明かない、と自ら現地に飛ぶことを決意した。
1972年12月31日、救援物資とともに空に飛び立ったクレメンテ。だが、その飛行機はカリブ海に墜落。こうしてクレメンテはまだまだ絶頂期だった38歳の若さで帰らぬ人となってしまった。
英雄、ロベルト・クレメンテの突然の死。その衝撃は、MLBのルールをも変えてしまった。通常、最短でも引退後5年を経過しなければ選ばれない野球殿堂に翌1973年の投票で選ばれたのだ。
さらにMLBは、慈善活動を行った選手に贈られる「コミッショナー賞」という名の功労賞を、「ロベルト・クレメンテ賞」と改称。以降、この「ロベルト・クレメンテ賞」はMVPに匹敵する名誉ある賞として、受賞者の誇りとなっている。
かつて、自らの命を賭して慈善活動に取り組んだ野球人がいた……被災者支援に注目が集まる今だからこそ、改めてそのことを胸に刻んでおきたい。今後、イチローがメジャー通算3000本安打に近づけば近づくほど、改めて彼の名は注目を集めるはずだ。
文=オグマナオト(おぐま・なおと)