オリックス時代は1994年から7年連続首位打者を獲得するなど、日本球界を代表する選手となっていたイチローは、2000年のオフにポスティングシステムでマリナーズへ入団。日本人野手では初となるMLB挑戦だっただけに、当初は「MLBで通用するのか?」という声も多く聞こえていた。
そして迎えた2001年4月4日、地元・シアトルのセーフコフィールドでのアスレチックス戦。イチローは「1番・ライト」でスタメン出場すると7回の第4打席、二遊間をきれいに破るセンター前ヒットでMLB初安打を記録する。
さらに8回の第5打席では一塁側へバントを転がし、自慢の俊足で内野安打をきめた。イチローはこの試合、5打数2安打でMLBデビュー戦を飾り、その才能の片鱗をシアトルのファンに見せつけた。
イチローはこの年、マリナーズ不動の1番打者となりオールスターゲームにも出場。打率.350で首位打者、56盗塁で盗塁王のタイトルを獲得するなどマリナーズの地区優勝に大きく貢献し、ア・リーグMVPを受賞した。
MLB4年目となった2004年、5月に30歳で日米通算2000安打に到達。夏場に一気に調子を上げてヒットを量産していく。8月26日にはMLB初となるデビュー以来4年連続のシーズン200安打を達成。ジョージ・シスラーが1920年に記録したシーズン257安打のMLB記録に近づく。
10月1日のレンジャーズ戦。シスラーの記録にあと1本と迫ったイチローは、サードの頭上を越えるレフト前ヒットでシーズン257安打目を放つ。そしてセンター前ヒットで84年ぶりにMLB記録を塗り替えた。さらに第4打席ではショートへの内野安打。大記録にリーチをかけて臨んだ試合で3安打を放ち、自らの偉業に花を添えた。
その後の2試合でも3安打を重ね、この年のイチローは262安打とMLB記録をさらに更新。2001年以来となる2度目のMLB首位打者にも輝いた。
イチローの試合前の打撃練習を見ていると、フルスイングでスタンドへ何本も飛ばしていく。「ホームランは狙って打つもの」という持論を持つイチローは、節目の記録をホームランで飾ることが多い。
オリックス時代の1999年には通算1000安打をホームランできめた。なおこの年、通算100本塁打は西武・松坂大輔から放っている。MLBでは2007年にロジャー・クレメンス(当時ヤンキース)から打った、7年連続200安打となった一発……。そして2009年、張本勲氏の持つNPB記録の通算3085安打に並んだときもホームランだった。
2009年の開幕前、イチローは第2回WBCの日本代表に選出。決勝の韓国戦では試合を決めるタイムリーを放ち日本のWBC連覇に貢献した。しかし、その代償は大きかった。WBC終了後にチームに合流するが、体の不調を訴えたイチローは胃潰瘍のためマリナーズ入団後、初めて故障者リストに入ってしまう。
復帰初戦となった4月15日のエンゼルス戦、イチローは第2打席でセンター前ヒットを放ち張本氏の記録にあと1本と迫る。すると7回の第5打席では満塁のチャンスでライトスタンドへホームラン。日米通算3085安打達成と同時に完全復活を印象づけた。
翌4月16日、イチローは張本氏が見守るなか、4回にライト前ヒットを打ってついに張本氏の記録を塗り替えた。
文=武山智史(たけやま・さとし)