3月29日に幕を開けたプロ野球は、開幕戦から3試合が延長に突入。手に汗握る好ゲームが多かった。試合展開としてはおもしろく、そして劇的なものとなったが、ブルペン陣を管理する投手コーチにとっては頭が痛かったに違いない。中継ぎ投手の登板数がかさんでしまうからである。
本企画『投手の“投げすぎ問題”を探る』では、前回は「70試合登板が酷使の境目」という仮設に立って「投げすぎ問題」を検証。今回は50試合登板まで幅を広げて、リリーフ投手の長持ちの秘訣を探ってみたい。
昨シーズン、50試合以上に登板した投手は両リーグ合わせて38人だった。2017年は45人、2016年は43人、2015年は39人となっており、毎年40人前後が50試合以上に登板している。
そのなかで、4年連続50試合以上に登板しているのは中崎翔太(広島)、宮西尚生(日本ハム)、山崎康晃(DeNA)、松井裕樹(楽天)、森唯斗(ソフトバンク)とわずか5人だけ。リリーフとして複数年連続で多くの試合数に登板することの難しさを表している。
毎年50試合以上に投げるためには、体の強度、いわゆる「頑丈さ」はもちろん、好不調の波が少ないことも必要、というのが一般的な考え方ではないだろうか。
しかし、この5人は決して毎年のように順風満帆だったわけではない。中崎は2017年の開幕直後に右腹部の違和感で登録抹消され1カ月以上も離脱している。また、2016年にはシーズン終盤に欠場しており、ポストシーズンの出場が危ぶまれたこともあった。
宮西は2015年10月にヒジの手術を受け、翌2016年は開幕に間に合っていない。山崎や松井は不振により、登録を抹消され守護神から外れたこともある。
そのなかで森は比較的順調に過ごしており、CS前の強制的な休養をのぞくと、シーズン中の登録抹消も2016年8月の1度だけ。このときは不振での降格だったが、最短の10日で戻っている。
順調に見える中継ぎ選手たちも毎年フルシーズンを戦い抜いたわけではなく、多かれ少なかれ離脱をしながら投げ続けているのである。
前述の5人に共通しているのは70試合以上の登板を行ったシーズンがないことだ。もちろん、投球回数や球数を考慮していないため、一概に70試合で括られるわけではないかもしれない。しかし、70試合以上に登板した投手の多くが、その後不振や故障に見舞われていることからも、ひとつの目安にはなる。
2014年から2017年の4シーズンで70試合以上に登板した投手は6人いた。岩嵜翔(ソフトバンク、2017年)、秋吉亮(ヤクルト、2015年・2016年)、スコット・マシソン(巨人、2016年)、増田達至(西武、2015年)、オンドルセク(ヤクルト、2015年)、福谷浩司(中日、2014年)である。
帰国したオンドルセクをのぞく全員がその後に故障や不振で離脱しており、「復調した」と自信を持って言える選手はまだいないのは少し気がかりだ。
昨シーズン、70試合以上に登板したのは近藤一樹(ヤクルト、74試合)、加治屋蓮(ソフトバンク、72試合)、石山泰稚(ヤクルト、71試合)、砂田毅樹(DeNA、70試合)、益田直也(ロッテ、70試合)、高梨雄平(楽天、70試合)の6選手だった。
そのなかで石山と加治屋の2人が開幕戦で打ち込まれている。また、高梨は打者1人に対し四球を出して降板と役割を果たせなかった。シーズンは開幕したばかりであり、登板も数試合。早急に判断できるほどのものはないが、不安なスタートだったことは間違いない。今シーズンどのような結果を残すのか見守りたいところである。
リリーフ投手はシーズンを通して1軍で投げ、なおかつ複数年連続で戦力になることが望ましい。しかし、投手も生身の人間である。故障することもあれば、好不調の波もある。
その影響を少なくするためにも1シーズンでの登板数を70試合以下にとどめ、複数年連続で50試合以上の登板を期待するほうが選手、チームの双方にとってもいい結果を生むのではないだろうか。たとえ、シーズン中に離脱期間があったとしても、である。近年の登板試合数とその後の結果を見ると、そう考えてもおかしくはないだろう。
高校野球の世界では投手の球数や連投が議論を起こしている。プロ野球の世界でもリリーフ投手に関して、球団によっては登板数、球数、連投、さらにはブルペンでの球数といった部分まで管理されつつある。投手を取り巻く環境は確実に変化している。
将来的に中継ぎ投手を取り巻く環境はどのように変わっていくのか、それとも変わらないのか。また、それが結果に結びつくのか。その流れに注目したい。
文=勝田聡(かつた・さとし)