今から31年前。1986年のセンバツで旋風が吹き荒れた。PL学園の「KK時代」が1985年夏の優勝で幕を閉じ、新しい時代の始まりを告げるかのような春の大旋風だった。その名は「新湊旋風」だ。
前年秋の北信越大会準優勝により初のセンバツ切符をつかんだ新湊。下馬評は低かったが、戦前の予想を覆す快進撃を見せる。
初戦の享栄(愛知)戦では、大会屈指の投手・近藤真一(元中日)に3安打に抑えられるものの虎の子の1点を守りきり1対0で勝利。大番狂わせを起こす。2回戦では飯田哲也(元ヤクルト)を擁する優勝候補・拓大紅陵(千葉)に0対4と劣勢の展開ながら、6回に集中打で一挙6点を奪取。7対4で逆転勝利と再び大番狂わせを演じた。
そして迎えた準々決勝。相手は京都西。試合は1対1のまま延長に入り、延長14回表に勝ち越した新湊が2対1で勝利を収めたが、決勝点は相手投手のボークによって得た1点だった。
あまりにも悲しい結末……。近年では、1998年夏の甲子園・豊田大谷と宇部商の一戦がサヨナラボークで延長15回の激戦に終止符が打たれているが、それに双璧をなす無情な結末となった。
準々決勝で接戦をモノにした新湊は準決勝で宇都宮南(栃木)に敗退。「新湊旋風」は4強という栄誉を残して吹きやんだ。
横浜の「怪物」松坂大輔(ソフトバンク)が甲子園デビューを果たした1998年のセンバツ。この大会で松坂は一躍スターダムにのし上がり、甲子園春夏連覇を果たすことになる。
そして、夏の甲子園で横浜と死闘を演じることになる明徳義塾とPL学園は、この大会で熱戦を演じていた。
1対1で迎えた9回表。明徳義塾はエース・寺本四郎(元ロッテ)の本塁打で1点を勝ち越し。粘るPL学園はその裏に2死満塁からの押し出しで同点に追いつく。そのまま試合は2対2で試合は延長へ突入した。
10回裏、PL学園は1死満塁と寺本四郎を攻め立てる。フルカウントからファウルを挟んでの7球目。稲田学が放った打球は三遊間を抜ける安打となりサヨナラ勝ちを収めた。
この大会限りで、PL学園・中村順司監督の勇退が決まっていたが、PLナインが意地を見せ、名将の最終試合を先送りすることに成功したのだ。
近年のセンバツ準々決勝で一番熱かった試合。そう言っても過言ではないのが2004年の済美対東北の一戦だ。
東北のマウンドにはエースのダルビッシュ有(レンジャーズ)ではなく、「メガネッシュ」の愛称で高校野球ファンに親しまれた真壁賢守が登った。右肩痛を抱えるダルビッシュは左翼での出場となった。
6対2と東北が4点リードで迎えた9回裏にドラマは訪れた。連打で2点を返されたものの2死までこぎつけた真壁。「あと1人」。誰もがそう思って見つめるなか、済美の甘井謙吾が右前打で出塁。続く小松絋之も左前打で続く。一発が出れば逆転サヨナラ。この場面で打席に入ったのは、ダルビッシュが打力を認めていた高橋勇丞(元阪神)だった。
カウント2ストライク0ボール(当時の表記)からファウルで粘った後の5球目、高橋が放った打球は、左翼を守るダルビッシュの遥か頭上へ。この一打がサヨナラ逆転3点本塁打となり済美が勝利。奇跡的な逆転劇で熱戦の幕は閉じた。
この大会、勢いに乗った済美は初出場初優勝を果たす。その快進撃は「ミラクル済美」と呼ばれた。
済美が準々決勝で見せた逆転劇は9回裏に起こった逆転のなかで、センバツ史上最大級のドラマだった。ちなみに、夏の甲子園では2006年に智辯和歌山(和歌山)が帝京(東東京)を相手に、2016年に東邦(愛知)が八戸学院光星(青森)を相手に、同じく4点差をひっくり返しサヨナラ勝ちを収めている。
文=勝田 聡(かつたさとし)