鳥羽・梅谷成悟主将の選手宣誓で幕を開けた100年目の甲子園。毎回、趣向と情熱がこもった選手宣誓を耳にすることで、甲子園の季節到来を感じる人も多いはずだ。そこで、選手宣誓のうんちくについてまとめてみたい。
今回の選手宣誓は「高校野球100年」の節目ということもあり、主催者提案で第1回大会優勝校・京都二中の流れをくむ鳥羽の主将が特例で指名された。
夏の甲子園の場合、本来であれば選手宣誓を希望する主将を募り、その中から抽選で決める。また、春のセンバツでは全出場校の主将が全員参加で抽選を行い、決定することになっている。
先ほど「鳥羽の主将が特例で指名された」と書いたが、特例での決定は実は過去にも例がある。
夏の大会では1972年の第54回大会がそうだ。この年は沖縄の本土復帰後、最初の大会ということもあり、南九州代表として勝ち上がった沖縄の名護・平安山良克主将が選手宣誓に指名された。
春のセンバツでは2011年の第83回大会で特例措置が採用された。このセンバツは東日本大震災直後ということもあり、大会の開催そのものが危ぶまれた。実際、組み合わせ抽選には被災地にある東北は参加できず、1回戦最後のカードに組み込まれることになった。そして、全主将がいないということで、選手宣誓は高野連の奥島会長が抽選し、創志学園の野山慎介主将が行うことに決まった。
かつては紋切り型のフレーズが定番だった選手宣誓。1984年夏で初めて主将自身が考えた言葉による宣誓が行われて以降、「自分の言葉」で宣誓するスタイルが一般的になった。
その顕著な例として有名なのが、1987年センバツにおける、英語を交えた選手宣誓だ。宣誓したのは、京都西(現京都外大西)の上羽功晃主将。しかも単語を忘れてしまい、「すみません」といってから宣誓し直したことでも話題を呼んだ。
同様に、少し変わった趣向として有名なのが1998年センバツでの「手話付き選手宣誓」だろう。この時の主将もなんと京都西の三好剛主将。選手宣誓を語る上では、外すことのできない学校だ。
ちなみに、過去には「選手宣誓をすると優勝できない」といった都市伝説が語られたこともあった。だが、今年のセンバツで選手宣誓をした敦賀気比が優勝したように、春・夏とも過去に何度も「選手宣誓&優勝」のW栄誉を勝ち取っている。鳥羽も無用なジンクスは気にすることなく、全力でプレーしてもらいたい。