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こんなに勝てない日々だから。今こそ振り返りたい、巨人軍「栄光の1勝目」の味

こんなに勝てない日々だから。今こそ振り返りたい、巨人軍「栄光の1勝目」の味

 間もなく前半戦も終わるというのに、圧倒的優勝候補だった読売ジャイアンツはセ・リーグ5位に沈んでいる。交流戦期間中には球団ワースト記録となる13連敗。連敗がようやく止まった日、高橋由伸監督が「ひとつ勝つのは難しいとはわかっていたけど……」と語りだしたのが何とも印象深かった。

 プロとはいえ、やっぱり勝つのは難しい。だからこそ知っておきたい、球団初の勝ち星はいつ、どのように手に入れたのかを。

 奇しくも今日7月3日は、巨人が球団史上初めて勝利を飾った記念日だ。12球団で圧倒的に多い5800以上の勝ち星を重ねてきた巨人軍の最初の1勝を振り返ってみよう。

1936年7月3日、戸塚球場で……


 日本にプロ野球が誕生し、はじめて公式戦が行われたのが1936年4月29日のこと。甲子園球場で「第1回日本職業野球リーグ戦」の幕が開けた。だが、巨人はこの時期、アメリカ遠征を行ったため、この栄えある最初のリーグ戦には参戦できなかった。

 そんな巨人がアメリカ遠征から帰国後、最初に行われた公式戦が1936年7月1日、戸塚球場で開幕した「連盟結成記念日本選手権大会」だ。

 一回戦の相手は名古屋軍。しかしこの試合、巨人は8対9と敗れてしまう。野球の本場で揉まれてきた実力は何処へ……。雪辱に燃えた巨人の次の試合が、7月3日に行われた大東京戦だった。

 この試合、巨人は一回裏に、「史上初の三冠王打者」として球史のその名を刻むことになる3番・中島治康の二塁打などで2点を先制。5回には、中島を中心に連打を浴びせ、さらには重盗をからめる積極的な攻撃で一挙6点をあげ、試合の趨勢を決定づけた。

 守っては、先発・畑福俊英が6回まで被安打2、1失点の好投。7回からは、のちに「史上初の通算300勝投手」になるヴィクトル・スタルヒンが見事なリリーフを見せ、10対1で勝利。攻めてつかんだこの勝利が、巨人軍の記念すべき1勝目、となったのだ。

出るか、通算10000号


 巨人軍最初のスターのひとり、中島治康の伝説についてもおさらいしておこう。初勝利から12日後の1936年7月15日、山本球場での大阪タイガース戦で「巨人軍初本塁打」を記録したのも中島だった。

 余談だがこの中島、上述したようにプロ野球史上初の三冠王を1938年秋季リーグで達成(打率.361、10本塁打、38打点。ただし、「三冠王」としてクローズアップされたのは、1965年に野村克也[当時、南海]が戦後初の三冠王を達成したとき)。

 やはり、打つべき主砲の打棒こそが勝利への近道、ということなのではないだろうか。

 閑話休題。

以降、80余年のときを経て、巨人軍は今年、12球団史上初となる大記録達成に挑んでいる。それが「球団通算1万号本塁打」だ。

 中島が放った第1号から、昨シーズン終了時点で通算9895本塁打を打ち続けてきた巨人。今季、開幕時で残り105本だった1万号への歩みは、交流戦終了時点であと66本にまで迫った。なんとか今季中には達成できそうな偉業なのだ。

 勝つのが難しいのではれば、せめて来場したファンへの思い出としてホームランを重ねて欲しい。その一歩一歩、一本一本の積み重ねが、次の勝利と「球団通算10000号」の偉業に近づく鍵になるのではないだろうか。


文=オグマナオト

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