伸びのあるストレートを武器に目指すは先発完投型! 西武1位指名・多和田真三郎の球歴に迫る
『野球太郎 ドラフト直前号』の名物コーナー「ドラフト候補&指導者マンツーマンインタビュー」。プロ注目選手と、彼らを育てた監督の証言から選手の「真の実力」を推し量ることができると好評だ。そのなかから、今回は西武から1位指名を受けた、多和田真三郎(富士大)の証言を紹介しよう。
●豊田圭史監督の証言
★最初の印象
高校を卒業し、大学1年になる時のキャンプで初めて見ました。体が全体的に細くて、ガリガリでユニホームはダボダボ。下半身の線が細いなという印象がありましたね。フォームは最初、どうなのかな? と思いました。理に適っていないのではないか、と。ただ、素晴らしい質のボールを放っていたので、いじらない方がいいなと判断しました。
★怖いもの知らずの1年生
多和田が1年生当時、4年生のキャッチャーがよかったので、首を振ることなく投げていましたね。1年秋には東北地区の代表決定戦で3連投し、明治神宮大会ではノーヒットノーラン。怖いもの知らずでした。ただ、あれから苦労した部分はあるかなと思います。
★10月末に合わせて
3年春に変化球でカウントを取れるようになり、相手を見て投げられるようにもなりました。この春のリーグ戦は何も言うことがないくらい、4年間で一番、よかったです。しかし、リーグ戦優勝の後に「脇腹から肩甲骨にかけて痛みが上がってきているんです」と言ってきました。大学選手権をリーグ戦の状態で投げさせてあげられなかったのは申し訳なかったと思います。
★エースの自覚
走ることもトレーニングも自覚を持たないといけないということは常々、言ってきました。野球は8〜9割をピッチャーが占めていると言われていますが、そのなかでマウンドに立つ資格を持っている一番の投手がエースだから、ということは言ってきましたね。他の選手よりも考えて、苦しい時も踏ん張れる精神力も必要だと。1年秋からエースナンバーの18番を付けていましたからね。
★これから
プロでは先発完投型のピッチャーになってほしいなと思います。先発を任せてもらえる信頼を勝ち取ってほしいですね。
●多和田真三郎の証言
★開花したのは……
中学校時代はもちろん、無名でした。適当な高校に行って、野球は高校で終わろうと思っていたんですよ。そんな時に中部商のコーチから誘われました。コーチに変化球を教わり、ピッチングが開花したかなと思います。
★あと一歩で甲子園
3年夏は沖縄大会決勝で糸満に負けました。本当にあと一歩でしたね。1-2の9回、1死満塁でバッターは自分。サードゴロゲッツーで終わりました。失点はスクイズとエラー絡み。沖縄に帰って高校の仲間と会うと、いつも誰のせいで負けたのか、という話になります(笑)。3人くらいいて、自分か、エラーした奴か、サードコーチャーの奴か。
★ノーヒットノーランの影響
高校の時もプロ志望届を出しましたが、指名されませんでした。野球は大学で最後という気持ちで来ました。1年秋の明治神宮大会でノーヒットノーランをしましたが、もう過去のこと。ただ、これで注目されたと思います。頑張らないといけないという気持ちになり、よかったと思います。
★ラストイヤーで肩を
春のリーグ戦の終わり頃から肩の後ろが痛み始めました。全国大会で投げられなかったのは悔しかったですね。秋(8月末現在)も投げていないし、ドラフトの年でもあるので焦りはあります。今はチューブや軽いおもりを使うトレーニングをしています。あとは、走ってばかりです。
★これから
自分の投げる試合は全て任せてもらえるピッチャーになりたいと思っています。周りから応援される選手になりたいですね。応援されれば、それだけ活躍できていると思うからです。
※この記事は『野球太郎No.016 2015ドラフト直前大特集号』の「ドラフト候補&指導者マンツーマン・インタビュー」より、ダイジェストでお届けしております。
構成=野球太郎編集部
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