まずは打撃だが、やはり一番の魅力は「両打ち」であるということだろう。
スイッチヒッターとして初のトリプルスリー達成という快挙が証明しているように、どちらの打席に入っても超一流のスラッガー。まさに空前絶後の選手であり、真っ先に筆者が心を鷲づかみにされたところだ。
そしてその打撃が年々進化していくのだから、見ているものとしてはたまらない。レギュラーになった1996年の1本塁打から2002年の36本まで毎年本塁打を増やし続け、打率も1997年から7年連続で3割をキープ。
ただ、あまりに万能すぎたためか、首位打者、本塁打王、打点王といった打撃の主要タイトルには縁がなかった(最多安打は2回獲得)。しかし、逆にそれすら勲章と思わせてくれるのが松井のすごいところ。
次は足の話だが、松井と言えばやはり盗塁。
1995年、レギュラー奪取前のプロ入り2年目に69試合の出場で21盗塁を記録して以降、退団する2003年まで9年連続で2桁盗塁を達成。1997年から99年にかけては、物議をかもしたこともあったが、3年連続で盗塁王を獲得した。
盗塁は、牽制をかいくぐったりモーションを盗んだりと、投手と走者の駆け引きがクローズアップされること多いが、筆者が松井の盗塁に惹かれるのは圧倒的なスピードで勝負していること。
もちろん細かな技術も駆使しているのだが、3歩目にはもうトップスピードに乗っているとされる爆発的なダッシュ力に、毎度、惚れ惚れさせられた。
また、松井には「リードを大きく取らない」という信条がある。その分、ほかの盗塁上手な選手より、わずかだが塁間を長く走っていることになる。それでも日米通算で464盗塁を稼いだのは、まさにスピードスターの面目躍如だ。
最後は守備についてだが、まずこの記事を書くために調べていて驚いたのは、西武時代の松井は、遊撃以外の守備位置に就いたことがないという事実だった。
中島裕之(現宏之、オリックス)のように、「まずは、ほかの守備位置で慣れさせる」という起用をされることなく、当たり前のように遊撃の守備位置を奪ったわけだ。
守備範囲を広げる脚力、内野の深いところや無理な体勢からでもノーバウンドで一塁へ送球できる鉄砲肩という土台があったとはいえ、1997年には早くもゴールデン・グラブ賞を受賞するような選手へと成長した。
PL学園高校時代の松井は投手。遊撃はプロ入り後から本格的に取り組んだ。練習では奈良原浩の守備を見てため息をついたというが、そうは思えない、思わせないところが遊撃手・松井のすごみと言える。
楽天退団の報を見て、真っ先に思い浮かんだのは「西武が獲得しないか」ということだった。
西武は、最近こそ傾向が変わり始めたが、チーム一筋でキャリアを終える選手が少ない球団だ。ただ、辻発彦監督しかり、一度リリースしても再度迎えることが多いため、松井にも同様に手を差し伸べるのではないかと期待している。
ちなみに、某夕刊紙の10月13日付の紙面に松井の復帰を予想する記事が掲載され、筆者の心は躍った。「出戻り」は一般的にはいい意味で使われないが、松井ならば筆者は大歓迎だ。
その日が来るのを楽しみにしながら、嬉し泣き用の涙を溜めておこうと思う。
(成績は2017年10月16日現在)
文=森田真悟(もりた・しんご)