育成選手制度ができた2005年秋以降、多くの選手が育成ドラフトなどを経て「育成枠」としてプロ入りしている。
もちろん、競争社会である以上、短期間で脱落してしまう選手も少なくないが、育成からトップクラスへとのし上がってくる選手は徐々に増えてきた。制度発足から約15年、主だった出世選手を紹介していこう。
育成制度の1期生となる2005年のドラフトで巨人に入団したのが山口鉄也だ(この年の巨人の育成指名は山口のみ)。1年目は2軍で過ごしたが、2年目の2007年4月には支配下登録、その翌週には1軍昇格を果たし、その年に育成出身としては初の勝利投手となっている。さらに3年目には67試合に登板し11勝2敗35ホールドと奮闘、こちらも育成出身としては初の新人王を獲得した。このシーズンからは9年連続で60試合以上登板という前人未到の大記録を達成している。その間、侍ジャパンにも選ばれWBCには2009年、2013年と2度出場した。
このように、トントン拍子にステップアップしてきたように思われる山口の野球人生だが、横浜商(Y校)卒業後、アメリカのダイヤモンドバックス傘下のルーキーリーグで3年少々プレーしていたという異色のキャリアを持つ。そこから帰国し、伝手を頼って横浜、楽天と入団テストを受けるもの不合格。3球団目、巨人のテストで目に留まり、ようやくプロ入りを果たしたという苦労人でもあった。
山口が指名された翌年、2006年の育成ドラフト3位で巨人に入団したのが松本哲也。ルーキーイヤーの春季キャンプで、支配下登録を勝ち取ると、3年目の2009年には129試合に出場し、打率.293と一気に頭角を現して新人王に。前年の山口鉄也に続いて巨人の育成出身選手が2年連続でセ・リーグの新人王を獲得(野手としては松本が初)した。さらにこの年、こちらも育成出身選手としては初のゴールデン・グラブ賞にも輝いている。
その後は故障もあって、2009年の出場試合数を超えることはできず。2017年限りでユニフォームを脱いだが、小柄ながらガッツあふれるプレーはファンの印象に深く残っている。
2008年の育成ドラフト6位という決して高くない指名順位でロッテに入団しながら、1年目の春季キャンプで早くも支配下登録を果たした岡田幸文。2010年に1軍戦に初出場(72試合出場)すると、翌2011年には全試合出場を果たし、41盗塁を記録。連続守備機会無失策359という日本記録も樹立し、ゴールデン・グラブ賞も受賞した(2012年も受賞)。
と、守備ではトップクラスのパフォーマンスを見せた一方で、打撃は、デビューから全2501打席で本塁打なし。また、野手で59打席連続無安打という個性的なNPB記録の保持者でもある。
チームに貢献している育成出身選手が多いソフトバンク。その象徴的な年が2010年のドラフトだ。以下の育成枠の指名リストを見ていただきたい。
■ソフトバンク2010年育成指名選手
1位:安田圭佑(高知ファイティングドッグス)
2位:中原大樹(鹿児島城西高)
3位:伊藤大智郎(誉高)
4位:千賀滉大(蒲郡高)
5位:牧原大成(城北高)
6位:甲斐拓也(楊志館高)
この年のソフトバンクは本指名で5名(2位に柳田悠岐)、育成枠で6名をピックアップ。その11名のなかで、育成4、5、6位というのは最も評価が低かったことになるが、その3名が今ではチームに欠かせない戦力となっている。
千賀滉大は2012年4月に支配下登録。2013年にセットアッパーとして51試合に登板し頭角を現すと、2016からは先発に転向。以降、2018年まで3年連続2ケタ勝利を記録している。
牧原大成は2012年6月に支配下登録。ファームでは首位打者や盗塁王などのタイトルを獲得するほど高いポテンシャルを見せていたが、1軍ではなかなか結果が出なかった。しかし、2018年夏以降は二塁のポジションを奪取。9月27日のメットライフドームでの西武戦で負傷し、以後は戦線離脱を余儀なくされてしまったが、今季は、開幕からユーティリティー性を生かし内外野で奮闘している。
甲斐拓也は2013年11月に支配下登録。2017年に正捕手となり103試合に出場。昨シーズンは12球団トップの盗塁阻止率.447を記録。日本シリーズでも、6連続で広島の走者を刺し、代名詞でもある「甲斐キャノン」の名を一気に広めた。
そのほか、ソフトバンクは、先発から中継ぎまでこなし2018年はチームトップタイの13勝を挙げた石川柊太、故障者続出の外野の穴を埋める周東佑京や釜元豪、外国人なので本質からは少し外れるものの、セットアッパーとして欠かせない存在感を発揮しているキューバ出身のモイネロらが育成から1軍に昇格し活躍している。
文=藤山剣(ふじやま・けん)