1993年4月17日、千葉県佐倉市で重信は生まれた。その翌日の4月18日、同じく千葉県の船橋市で高山が産声をあげる。2人の運命は、ほぼ同じくしてこの世に生を受けていた。
2人は地元のリトルシニアで内野手として活躍。重信の中学時代の成績はオール5で、勉強でも秀才ぶりを見せていたそうだ。一方の高山も、学校の成績は優秀だったという。2人の考え抜かれた打撃や状況判断は、秀才がゆえに成せるものなのかも知れない。
2人はともに運命に導かれるように、都内の高校への進学を選択。日大三高へ進んだ高山は、大型遊撃手として期待され入部するも、内野に必要な柔らかさが足りないとの理由で、小倉全由監督に勧められ外野手に転向する。
早稲田実業に進んだ重信は、1年からレギュラーの期待がかかるも故障に泣き、2年夏に二塁手として甲子園出場を果たす。そして迎えた3年生最後の夏、西東京大会決勝で2人は運命の日を迎えた。
日大三と早実の直接対決は、日大三が2−1の接戦をものにし、日大三はそのまま甲子園でも全国制覇を成し遂げる。
早稲田大学に進んだ重信は、2年秋から外野手に転向して頭角を現し始めた。50メートル5秒7を誇る自慢の足を生かすとともに、先輩である青木宣親(マリナーズ)や鳥谷敬(阪神)が受け継いだ、早大野球部秘伝の“振り切っての流し打ち”を実践し、広角に打ち分け安打を量産。4年秋には首位打者に輝く。
同じ東京六大学でも明治大に進んだ高山は、1年春からヒットを量産し続け、安打製造機と呼ばれるまでに成長。明治大の大先輩・高田繁氏(元巨人)の持つリーグ最多安打を塗り替え、一躍ドラフト1位候補として注目を浴びた。
2人は東京六大学リーグでも安打数を競い合い、優勝をかけて戦ったのだ。
173センチ73キロと小柄な重信は、パンチの効いた打撃と自慢の足でかき回すのが持ち味。一方、下半身が太く体格に恵まれた高山は、長打も兼ね揃えた中距離ヒッターとして、プロでも安打製造機となるだろう。
そのためには、まずは熾烈なチーム内競争を制し、互いにレギュラーを獲得しなければならない。
3月に入りオープン戦が本格的にスタートする。プロは結果が全てであり、過去の栄光や、これまでの努力は問われない。
4月5日から始まる巨人対阪神3連戦(東京ドーム)に、2人がスタメンで名を連ね、その日がプロとして初対決する“運命の日”となることを期待してみたい。
文=まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子供のころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。