スティーブ・オンティベロス(1980年後期入団)
西武に在籍した6年のうち5年で打率3割をマークし、所沢移転後のチームを支えた名助っ人。
一方で血の気も多く、6年で3度の退場処分を受けたことも。ちなみに西武の記念すべき退場者第一号はスティーブである。
ハゲ頭という特徴もあり、メジャーリーガー時代はカツラのCMに出演していた。
オレステス・デストラーデ(1989年6月入団)
秋山幸二、清原和博とともにAKDユニットを組み、西武黄金期を支えたデストラーデ。
打率こそ毎年.260くらいだが、1年目から83試合で32本を放った長打力が魅力だった。入団翌年の1990年から3年連続で本塁打王を獲得した。今なおアレックス・カブレラとともに、西武の「歴代ナンバーワン助っ人論争」が巻き起こるのも頷ける成績である。
またホームランを打った後にとる、弓矢を射るようなポーズも話題に。今はパフォーマンスも当たり前になったが、「オーレ」(デストラーデの愛称)はその先駆けだった
エルネスト・メヒア(2014年5月入団)
デビュー戦での初打席初本塁打。来日1年で34ホームランを打ち、史上初となる途中入団での本塁打王が話題になったメヒア。
メヒアは、マイナーの3Aでの活躍が目に留まっての獲得だった。来日後には、元西武で駐米スカウトを務めるホセ・オーティズがアドバイス。そのおかげで日本に順応できたことも、その後の活躍につながったとか。
ちなみに阪神は、その年のオフにゴメスとメヒアを天秤にかけてゴメスを選択。ゴメスも華々しい活躍をみせたので、あらめて3Aは宝の山ということがわかった。
助っ人外国人が日本で活躍するコツは、日本の野球に慣れること。しかしシーズンオフに契約して、心づもりをしていた選手でも、順応できないケースは多い。
そんななか、シーズン途中で入団し結果を残す選手というのは、真の助っ人ということになるだろう。
シーズン中に選手を獲得するということは、チームに何かしらの問題があるということだが、暗いチームを明るくするのは、事情を知らない海外からの使者だからこそなせることだ。
文=森田真悟(もりた・しんご)