6月24日、育成選手だった大田阿斗里が支配下選手登録された。背番号は98。悪夢のような交流戦を終え、最下位に沈むオリックス。大田はそんなチームへのカンフル剤となるのだろうか。
大田は帝京高時代、3季連続で甲子園に出場。センバツ大会では20奪三振、完投勝利を記録した。2007年の高校生ドラフト3位で指名され、横浜に入団。登録名を「阿斗里」とした。
入団後、イースタン・リーグで先発を中心に登板。1軍での登板機会もあったが、なかなか勝てないでいた。登録名を本名に変えた2013年に初勝利。その年はリリーフとして38試合に登板、2勝4敗5ホールド、防御率3.72の成績を残した。しかし、そこをピークに成績が伸ばせず、2015年にDeNAを戦力外になってしまう。
そんな大田に目をつけたのがオリックス。宮崎キャンプに参加させテストを行った。背番号のないユニフォームで実践形式の登板を何度か行い、見事に合格。育成選手として契約することとなった。
その後、ウエスタン・リーグの試合に出場し、結果を残した大田はついに支配下選手を勝ち取った。大田は球団に感謝の意を表し、チームに貢献したいと決意した。
育成選手から支配下登録され、活躍した選手といえば、阪神の原口文仁だ。原口も支配下選手から育成選手契約になり、そこからまた支配下選手に這い上がった選手。今季、1軍に登録されてからの大活躍は目を見張るものがある。月間MVPを獲得し、オールスターのファン投票では、セ・リーグ捕手部門2位の17万票を獲得している。シンデレラストーリーといっていいだろう。
その原口と大田は同じ帝京高出身。原口は大田より2学年下である。後輩の活躍に大田も奮起したのではないだろうか。
大田が登録され、オリックスの支配下選手は69人になった。7月末まではあと1人の支配下登録が可能である。その枠に入って欲しいとファンが願うのが、園部聡だ。
園部は聖光学院高時代に4季連続で甲子園に出場。高校通算59本塁打のスラッガーとして名を馳せた。2013年のドラフト3位でオリックスに入団。
入団当初からウエスタン・リーグで活躍するも右ヒジを痛め、肘頭閉鎖不全反転骨移植の手術を受けた。リハビリに時間を要することから、その年のオフに育成選手として登録することとなる。
今季はウエスタン・リーグで41試合に出場、打率.300、6本塁打、17打点の成績を残している。6本塁打はチームトップだ。まもなく支配下登録される噂もある。
大田は1989年生まれの26歳。オリックスでは、伊藤光、東明大貴、吉田一将と同世代で、まだまだ若い。園部は1995年生まれの20歳。若月健矢、奥浪鏡と同世代で、未来のオリックスを背負っていく選手だ。チームの現状を考えると、大田や園部は選手層の厚みを増すために、どうしても必要な選手であろう。下からの突き上げが、チーム上昇の鍵を握っているのではないだろうか。
文=矢上豊(やがみ・ゆたか)
大阪在住の山本昌世代。初めてのプロ野球観戦は、今はなき大阪球場での南海対阪急戦と、生粋の関西パ・リーグ党。以来、阪急、オリックス一筋の熱狂的ファン。プロ野球のみならず、関西の大学、社会人などのアマチュア野球も年間を通じて観戦中。