2015年も気づけば残りわずか。今年も高校野球界では、清宮フィーバーを始めとして様々な出来事があった。
それは各国の試合前のシートノック、特に内野手のプレーの違いだ。アメリカやカナダ、キューバといった国々の内野手はバックハンドやシングルハンドでのキャッチ、オフバランスでの送球に積極的に挑んでいた。
それに対し日本の選手は、これは読者の皆さんにもおなじみの光景だろうが、あくまでも基礎に忠実で体の正面で捕球しきちんとステップを踏んでから確実に投げていた。両足が宙に浮いた状態での送球など皆無である。要は少年野球で最初に教わることの延長、というかそのままだ。
なぜ日本人は基本を大事にしすぎるのか。それは高校、中学レベルでの公式大会の制度に一因していると考える。
一発勝負のトーナメントが基本の大会ではひとつのミスが命取りになりかねない。特に接戦の中盤で送球エラーを犯した場合、敗退する直接の原因となり、チーム全体の努力を水の泡にしてしまう可能性がある。
筆者の中学時代の顧問は、シートノックの際、ことあるごとに「無理な体勢から投げるな、送球エラーは相手に二つの塁を与えることになる」と言っていた。
確かに、トーナメントという点を考えたら一理ある。しかし、少なくとも練習ではエラーをしたところで誰も損はしない。練習なのだから、もっと積極的にオフバランスでのプレーに挑むべきだ。これはミスを最小限にとどめ、とれるアウトを確実にものにするという日本野球の気質があまりにも深く根付いてしまっているためだろう。
もちろん、北中米の選手とは身体能力が違うという反論もあるかもしれない。しかし、私は大会中、同じアジア人である韓国チームも果敢にサイドやアンダーハンドからの送球に挑戦するのを目の当たりにした。人種の違いは理由にはならないだろう。
それに加えて、元メジャーリーガーで、今大会にてアメリカ代表の一塁コーチを務めたデビッド・エクスタインは、一次ラウンドの日本対アメリカの試合後、「両国の選手の間にそこまで大きな差はない。どちらもほぼ同じレベルの才能を持っている」と話した。
私もエクスタインに賛同する。実際、アメリカ代表の遊撃手、コール・ストッブや二塁手のモーガン・マクロウと日本の平沢大河の間にそこまで大きな身体能力の差があるとは思わなかった。
基礎を踏襲するのは大事だ。何事も基礎ができていなければ始まらない。しかし、ある程度それが身についているならば、そこから一歩進んで見ることも同じくらい重要だ。
その「一歩」を進められないのが、いまの日本野球界。そして、数々の日本人内野手がメジャーリーグの舞台で苦しめられてきた要因ともなっている。もし今後メジャーでも通用する内野手を育てていくのならば、アマチュアの段階から指導の方法を変える必要があるだろう。
文=山崎和音(やまざき・かずと)