10月22日のドラフト会議では、県岐阜商高の?橋純平に最多の3球団が競合し、ソフトバンクが交渉権を獲得。クジを外した日本ハムと中日は、揃って小笠原慎之介(東海大相模高)を指名。中日に決まった小笠原は、「?橋には負けたくない」と言い切っていたが、そりゃそうだろう。普通の高校生とは違い、し烈な競争社会を勝ち抜いてきたはずの彼らにとっても、こうした格付けはシビアに映ってしまうのだから。
今年のドラフトで最大の話題をさらったのが、?山俊(明治大)の交渉権を巡るヤクルト真中満監督の珍プレー。
今回のケースとほぼ同じケースは、ちょうど10年前、2005年の高校生ドラフトでも起きている。
1巡目指名で、オリックスと巨人が大阪桐蔭高の辻内崇伸を競合指名。一度はオリックスに交渉権確定とされたが、二転三転した結果、巨人に交渉権ありと訂正された。
この「天国から地獄」を味わったオリックスが外れ1位で獲得したのが、同じ大阪・履正社高の岡田貴弘(T−岡田)だった。T−岡田は2010年にブレイクを果たして本塁打王を獲得したのに対して、辻内は2013年シーズン終了後に戦力外通告を受けて引退。
もちろん、辻内にケガがなければという「たられば」はあるが、オリックスにとっては、当たりの没収は吉と出たのではないだろうか。
翌2006年の高校生ドラフトでは、中日、阪神と競合した堂上直倫(中日)を外した巨人が、坂本勇人を獲得。ともに大型遊撃手として注目された2人の、プロ入り後の明暗はご存じの通り。
堂上は入団4年目の2010年に井端和弘の戦線離脱でチャンスをつかんだものの、その後は尻すぼみ。一方の坂本は、入団2年目に全試合出場をやってのけると、今ではすっかり日本を代表する選手に。尾張のプリンスといわれた堂上も、そろそろ未完の大器では済まされない年齢に突入してしまった…。
昨年のドラフトでは、有原航平(日本ハム)の抽選を外したDeNAが、再び阪神と競合した末に山?康晃を引き当てた。ともに両リーグの新人王最右翼と、ハイレベルな競争になったが、インパクトではハマの小さな大魔神に軍配が上がる。
大石達也(西武)に最多6球団が集中した2010年のドラフトで、大石を外した広島が同じ早稲田大の福井優也を獲得。同じく早稲田大同期の斎藤佑樹(日本ハム)には4球団が競合したが、プロの世界で早稲田大同期の先頭に立っているのは、入団時の序列としては1番最後だった福井だろう。
同年のドラフトで外れクジを引きながら笑いが止まらないのは、言うまでもなくヤクルトだ。
10月27日のソフトバンクとの日本シリーズ第3戦で、史上初の3打席連続ホームランを記録した山田哲人は、斎藤、塩見貴洋(楽天)の外れで入団。山田が十数年に1人出るか出ないかの選手ということを考えると、ヤクルトは2度の外れからサヨナラ満塁ホームラン級の大逆転決めたと表現しても差し支えないだろう。
古くは、荒木大輔(ヤクルト)の外れで巨人に入った斎藤雅樹がいた。2人が注目され続けたのは、プロでの成績では斎藤が圧勝しても、荒木には高校野球から続く永久不滅のブランド力があったから。
相手の背中が見えなくなってしまえば、入団時のライバル関係なんて忘れられてしまうもの。
これからも何かと比べられるであろう小笠原と?橋。ともにプロ入り後も活躍して、いつまでも楽しませてもらいたい。
文=小林幸帆(こばやし・さほ)
野球狂の母親に連れられ、池田がPLに負けた一戦を甲子園で見た小2の夏休みから高校野球ファンに。ヤクルト大好きの女子高時代は、ビニ傘片手に放課後を神宮球場で過ごす。