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【父はラグビー界の名将・清宮克幸】話題沸騰の超大物ルーキー・清宮幸太郎(早稲田実業野球部)の成長期

 4月といえば、街中で真新しい学生服やスーツを着たフレッシュマンたちが目につく季節。新入生・新社会人が新しい世界に飛び込む姿を見て、自らのルーキー時代を思い返す人も多いかもしれない。

 高校野球界で今、最も注目を集めているルーキー(新1年生)といえば、名門・早稲田実業に入学直後から、所属した硬式野球部で、大活躍を見せている清宮幸太郎だ。

 東京都春季大会で高校野球デビューを果たした清宮は、4月9日の駒大高戦で決勝タイムリーを放つなど、6日に入学式を終えたばかりの1年生とは思えない活躍ぶり。リトルリーグでは世界一に輝き、リトル通算132本の本塁打を放った清宮は、「和製ベーブ・ルース」の異名がつけられるなど、すでに多くのメディアで紹介されている。

 実は野球太郎編集部は、この“逸材”に早くから注目していた。過去、清宮が中学2年生の頃に取材していた経緯がある。今後の高校球界で必ず話題になるであろう清宮は、一体どのような育ち方をしてきたのか? 彼の成長を追った記事を、2013年12月26日発売の『中学野球太郎Vol.3』に掲載した。それらを抜粋して、清宮幸太郎はどんな選手なのか、じっくりと紹介しよう。


(※所属チームや体のサイズなどは雑誌に掲載された当時のものです。一部、現在と異なりますが、ご了承ください)

医師が勘違いするほどの大きさ


「赤ちゃんの頃から大きかったんですか?」

 そう質問すると、清宮幸太郎選手の母である幸世さんは笑顔で答えた。

「生まれた時の体重は3800グラムです。おかしかったのが、6カ月検診で病院に行った際に9カ月検診をされたんです。体が大きくて先生が勘違いをしたようで、誕生日を調べたらまだ生後6カ月(笑)。その頃から“この子は体が大きい”と思うようになりました。私の周りに“子どもがご飯を食べない”と悩んでいるお母さんが結構いたんですけど、うちは申し訳ないくらいの量を食べていましたね。“そろそろやめておけば?”と言ったことはありますけど、“もっと食べなさい”と言ったことはありません」

 栄養が偏らないようにと、保育園から出される献立表を見て夕食のメニューを準備した。また、児童期にはジャンクフードのような栄養価の低いものを与えず、その影響か、清宮選手は今でもスナック菓子や炭酸飲料をほとんど口にしない。最近ようやく「ビッグマックってこんなにおいしいんだ」と初めて食べたそうだが、基本的にはお肉が苦手でステーキやトンカツはあまり食べないという。

「お肉で好んで食べるのは鶏肉くらいです。塩焼き、照り焼き、タンドリーなどバリエーションを付けて飽きさせないようにしています。牛乳は一日に2リットルくらいは自発的に飲んでいますし、私が気を付けているのは食べさせるタイミングくらいです。フードマイスターの資格を持っているんですけど、運動した後の30分以内に炭水化物を摂ると疲労が取れやすくなるので、おにぎりを持たせて練習後に食べさせるようにしています」

 清宮選手の現在のサイズは身長183センチ、体重97キロ。周りの選手も大きくなって、リトル時代ほど群を抜くような感じではなくなったが、それでも雄大な体格は他の選手たちと明らかに違う。聞けば、幸世さんの身長は162センチと女性では平均的だ。

「主人は182センチありますけど、いとこのなかではいちばん小柄なんです。主人のお母さんとお姉さんは私より大きいですし、大柄な家系だと思います」

 小学校入学時の身長が137センチ。中学校入学時も177センチと、いずれも平均を20センチ以上も上回る。清宮家の継承者であり、さらにご飯を食べたいだけ食べ、牛乳も飲みたいだけ飲む。大きな体が作られた理由は明白だ。また、野球センスやボールを打つ才能も偶然ではない。祖父の幸一さん(克幸さんの父)は過去にドラフト候補に名前が挙がったほどの選手で、幸世さんは慶應義塾大のゴルフ部で主将を務めたスポーツウーマンだ。ちなみに、清宮選手を左打ちにしたのは幸世さん。中学時代の野球部のマネージャー経験を生かして、「一塁に近くて有利だから」と左で打たせたのがきっかけだ。


父と同じ「ごんたくれ(悪がき)」


 清宮克幸さんを知っているだろうか。中学球児にとっては“清宮幸太郎の父”として知っている人は多いだろうが、一般的には“ラグビー界のカリスマ指導者”として名高い。現在はヤマハ発動機ジュビロの監督を務め、早稲田大の監督時代には5年間で3度も日本一に導いた名将だ。そんな克幸さんと清宮選手の目元は非常に似ている。親子だから当たり前だが、知性と情熱を感じる一見クールな眼光だ。しかし、時おり見せる中学生らしい、やんちゃな笑顔が人なつっこい。

「3歳からラグビーを始めて、保育園の年少からチームに入りました。当時から体が大きくて年長に交じっていたんですけど、相手をぼんぼん吹っ飛ばしていました。いま思えばバカですけど、“なんで俺にトライをさせないんだ”と味方でトライをした子に殴りかかったこともあります(笑)。試合に負けると悔しくて、ヘッドキャップや水筒を投げつけてよく母に怒られました」

 克幸さんがある雑誌で「ごんたくれ(悪がき)だった」と少年時代を振り返っている記事を読んだことがあるが、性格もうり二つだ。克幸さんを見て育った清宮少年がどうしてラグビーではなく、野球の道を選んだのか。ずっと気になっていた質問をした。

「小さい頃からラグビーは基本にあったんですけど、水泳、テニス、陸上、スキー、相撲、野球と、両親にはいろいろなスポーツをやらせてもらったんです。その中でいちばん力を発揮できるのが野球でした」

 清宮家の夫婦は普段から子育てについて熱心に議論する。この時は「ラグビー馬鹿になってほしくない」、「ゴールデンエイジの10歳までにいろいろなスポーツを経験させたい」と成長を見守った。水泳は体が重くて水に浮かず。スキーも肌に合わなかったようで興味すら示さなかった。だが、相撲は港区の大会で4連覇。野球では、5歳の時にバッティングセンターでホームランのボードにぶち当て、小学1年で球速130キロのマシンを打ち返した武勇伝を残している。

佑ちゃん対マー君の再試合に感動


 そんな清宮選手が、野球の魅力にハマったのは2006年の夏。早稲田実と駒大苫小牧高の甲子園決勝再試合だ。当時、小学1年だった。

「決勝戦は父がラグビーの合宿をやっていた菅平(長野)で見たんですけど、引き分けで再試合になったので、翌日に母と4歳下の弟と3人で甲子園に行きました。早実初等部の1年だったのでアルプスで応援したんですけど、最後に佑ちゃん(斎藤佑樹/現日本ハム)がマー君(田中将大/現楽天)を三振にとった瞬間は今でも忘れません。“野球ってすごい”と感動しました」

 そして、小学2年の終わりから約2年間軟式のオール麻布に在籍。その間もラグビーと野球の両立を続けていたが、小学4年の2月に東京北砂リトルリーグに入団する。これを機にラグビーをやめて野球一本に絞った。

「リトルかボーイズかで迷ったんですけど、父が“てっぺんがあるスポーツはいいぞ”と言ってくれたので、世界大会があるリトルに決めました。入った時は、こんな小さいグラウンドでこんなスピード野球をしているのかと驚きましたね。ピッチャーのボールは速くて、足もみんな速かったです。スピード感に魅かれました」

 オール麻布でも抜けた存在ではあったが、環境やボールが変わっても天性の野球センスは変わらなかった。5年生の時にすでに中学1年生と対峙。本人の感覚では1試合に1本くらいは本塁打を打ったという。

「正確な数はわからないですけど、練習試合を入れたら130本以上は打ちました」

 清宮選手の名前が全国区になったのは2012年8月。リトルリーグの世界選手権で飛距離94メートルの特大アーチを放った翌日だ。60年以上も続く伝統のある大会で史上最長弾と称賛され、“リトルの怪物”という見出しが紙面を踊ったからだ。伝説の一発は、長距離バッター特有の高い放物線を描いてフェンスを大きく越えていった。

「確かに高く上がる打球は多いです。でも、僕としては45度くらいの角度で飛んでいく打球のほうが好きですけどね。自分はバットが遠回りして出るので、トップの位置からボールまで一直線にバットを出すのが理想です」

 自然と打撃論を展開した。現在、シニアでの通算本塁打は10本あまり。「リトルの時と比べたらぜんぜん打ててない」そうだが、グラウンドの大きさが問題なのか。それとも相手ピッチャーのレベルが高いからなのか。

「タイミングが合えばホームランになるので、自分の技術の問題だと思います。リトルとシニアは距離が違うので、“間”の取り方が難しいです。シニアに入る前は、単純にピッチャーとの距離が遠いほうが打ちやすいと思っていたんですけど、実際は違いました。右脇が空いてしまうのも課題です」

キンデランと同等の飛距離


 調布シニアの安羅岡一樹監督は清宮選手の打撃を初めて見た時、とにかく驚いた。

「スイングの速さが強烈でしたね。今まであんな中学生は見たことないです。筑波大で野球力測定というのを行ったんですけど、スイングスピードが133・4キロで大学生の平均値よりも高かったんです。チーム平均が109・4キロなのでその差は歴然です」

 飛距離にも衝撃を受けた。

「ライト後方の防球ネット(高さ約20メートル)を越えるんですよ。以前、社会人チームのシダックスがこのグラウンドを練習で使ったことがあって、所属していたキンデラン(元キューバ代表の強打者)があのネットを越えましてね。オレンジのラインがホームランで95メートル。おそらく150メートルくらいは飛ばさないと越えないと思います」

 もちろん、現在の清宮選手が伸び悩んでいることには気付いている。

「リトルは“1、2”のタイミングで打ちますが、シニアはリトルより距離が4メートルも長いのでタイミングがまったく違います。ピッチャーのレベルも上がって、外角と内角を投げ分けますし、スライダーやフォークもきます。そういうなかでフォームを保つのは簡単ではありません。今は自分のスイングができていない打席がかなりありますよ。ただ、並の選手でないことは確実なので、コツさえつかめれば本当に怖いバッターになります」

 安羅岡監督には忘れられない思い出がある。今年8月に北海道で開催された第4回林和男杯。約60チームが選抜されて戦う全国大会である。調布シニアは、試合終盤に逆転勝ちした試合もあれば、0対0の最終回に1点を取ってサヨナラ勝ちした試合もあった。合言葉は「ベンチ漏れした3年生のために」。毎日のようにミーティングを重ね、チームはどんどんひとつになり決勝戦は2対0。全国制覇を遂げたのである。

「清宮がベンチ漏れした3年生に自分のメダルをあげたんです。首にかけてあげてね。あの時は感動しました。彼自身は4番に座ったけどほとんど打てなくて、悔しい思いをしていたはずなのに。優しい子ですよ」

 清宮選手には「もっとチームを引っ張っていく存在になってほしい」と期待する。

「チームメートに何かを発する時に優しさが出ます。清宮にはバットとメンタルでチームの中心になってほしい。そうしないとこのチームは強くなりません。今後の野球人生を成功させるためにも重要なことです」

 安羅岡監督は「負けず嫌いで、自分で考える熱心さもある。彼なら来年の夏までにきっと成長してくれるはず」と信じている。

やっぱりパワーなんだよパワー


 清宮選手は素振りやティー打撃をほぼ毎日、自宅の地下にあるトレーニング室で行う。克幸さんがいる時は投げてもらい、「もっと力強く振れよ。バレンティン(ヤクルト)を見習え」と叱咤されることもある。

「A-ROD(アレックス・ロドリゲス/ヤンキース)やバリー・ボンズ(元ジャイアンツ)もそうですけど、強打者はみんな力がすごいですよね。父にも『やっぱりパワーなんだよパワー』と言われます。もちろん薬なんか使わずにパワーをつけるということです」

 ケガをした時やトレーニングでわからないことがあれば克幸さんにアドバイスをもらう。会話の受け答えにも厳しく、なにかコメントを求められた際に「『頑張ります』とか当たり前のことを言うなよ。他の人とは違うことを言え」と指導されている。幸世さんが取材陣に「幸太郎は主人をとても尊敬しています」と語ってくれたが、それは克幸さんの話をする時の誇らしげな表情でわかる。また、「ラグビーは生で観ると最高です。気迫がすごいんですよ」、「小さい頃は早稲田が負けると荒れました」、「小野澤さん(宏時/サントリーサンゴリアス)のステップは華麗です」など、ラグビーの話をしている時の清宮選手は掛け値なしに明るい。ラグビーへの未練を聞くと、オトナのような切り返しだ。

「離れると恋しくなるものです(笑)」


 克幸さんは高校からラグビーを始めた。克幸さんの早稲田大の後輩で元日本代表の堀越正巳さん(立正大ラグビー部監督)も高校デビューのラガーマン。今からラグビーに転じて本格的に取り組むことは十分可能だ。

「体がふたつあったら両方やっています。でも今は野球を真剣に取り組んでいるので、まずは調布シニアでしっかりと結果を残したいです。その後は早稲田実業、早稲田大で野球をやることをイメージしていますが、父からは“お前が松井秀喜(元ヤンキースほか)くらいすごくなったら高校からプロに行ってもいいんじゃないか”と言われています」

 世界一を獲ったリトルの怪物は、数年後に真正の怪物になれるのだろうか。その目撃者になれることを願う。

(取材・文=本木昭宏)

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