昭和20年代のプロ野球に注目する(3) ―野球復活を速報したメディア―
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1リーグ時代のオールスターに相当する東西対抗。あらためて、その発端からおさらいしておくと、第1回は連盟の公式戦が始まった翌年、1937(昭和12)年の11月に開催されています。
以降、毎年恒例のイベントとなりましたが、いよいよ戦局が悪化した昭和19年の東西対抗は6月に開催。秋には公式戦も中断となり、日本から野球が消えたも同然でした。
それが昭和20年、8月15日の終戦からわずか3カ月後、11月23日の東西対抗で野球復活。これはもう、日本球界と野球人のたくましさの現れなのか、同年は公式戦が行われなかった半面、東西対抗だけは中断がなかったわけです。
では、この東西対抗、当時のメディアはどう伝えたのか。
試合のスコアブック「発見」をひとつのきっかけに著されたものとして、『日本プロ野球復活の日』(鈴木明著/集英社文庫)というノンフィクション作品があります。同書ではこのように記されています。
▲1987(昭和62)年4月に発行。カバー写真は、復活の東西対抗で両軍の監督を務めた横沢三郎(右)と藤本定義。並んで写っているが、試合当日ではなく翌年に撮影された一枚。
<この時−十一月二十三日から十二月二日にかけて−東京、桐生、西宮と舞台を移して行われた四回の「プロ野球東西対抗戦」は、「公式記録」としては、どのプロ野球記録にも載せられていない。唯一枚の写真すら残されていないし、この感動的な試合を具体的に記述した記事は、全くない>
東西対抗は神宮のあと、群馬の桐生で1試合、兵庫の西宮で2試合と、転戦する形で行われました。つまり一日限りではなかったのですが、記録も写真も記事も存在しないとは……。
確かに『日本プロ野球復活の日』には、東西対抗開催にこぎ着けるまでの、球界関係者と選手たちの動きが詳細に綴られています。その意味では日本の野球史上、大変貴重な文献資料と言えます。しかし、同作品はプレーボール直後の場面で幕を閉じていて、試合については具体的に記述されていないのです。
もっとも、NHKのラジオでは実況中継がなされていて、リアルタイムではしっかりと、メディアが試合展開を伝えていたことになります。
では、活字メディアのほうは、新聞さえ記事にしなかったのでしょうか……。
実は読売新聞が記事にしていた、ということが、昨年刊行された
『プロ野球復興史』(山室寛之著/中公新書)に記されています。
午後1時に始まった試合は両軍合わせて34安打、16四球と荒れた展開になり、13対9というスコアで東軍の勝利。読売は<練習不足の中、両軍の打棒大いにふるい>と伝えているそうです。
同書はまた、当時のスポーツ雑誌に掲載された戦評も紹介していて、それはプロ野球創設以来、公式記録員として観戦を続けた広瀬謙三によるもの。<選手が球を手にしたのは二、三日前で満足なことができるわけがない>、<全く練習を欠いている投手は球速も威力も乏しい>と厳しい表現で書いているとは印象的です。
しかし、よく考えてみると、それは厳しいというよりも、当時の状況そのままを伝えたまで、という気がしてきます。
今から振り返れば、戦後の混乱期によく野球を復活させた、それだけで十分にすごい、と感動してしまいますが、現場にいた人はグラウンド上のプレーだけを目の当たりにしているのです。何も野球を美化していないこの戦評は、極めて貴重な史実とも言えるでしょう。
広瀬の戦評が載った雑誌は、タブロイド版の『体育週報』。当初は『ベースボールニュース』という誌名で発行されていたスポーツ雑誌が、戦時下において英語は“敵性語”とされたため、和名に変更していたのです。
発行は<昭和二十一年三月>とありますから、復活の東西対抗から約4カ月後のこと。ちょうどその頃、球界は公式戦の再開を控えていて、新しい野球雑誌が創刊されていく時期とも重なります。
ところが、つい先日、神宮での東西対抗の戦評を掲載しつつ、素早く刊行された雑誌があることを知りました。同じ『体育週報』の臨時号というもので、発行は<昭和二十年十二月一日>ですから、ほぼ1週間後です。
この大変貴重な文献を発見した古書店『ビブリオ』さんの協力を得て、お店で売り出す前に見せてもらいました。
これをタブロイド版といえるのかどうか、B4判のわら半紙にガリ版で刷られた、およそ見た目は「雑誌」とは呼べないものです。すなわちB4判を半分に折って、B5判で4ページ。
1ページ目には<再発足の日本野球 東西優秀選手選抜対抗戦>のタイトルが入り、出場選手の名前が並び、四段組の下二段には東西対抗の<過去の戦績>。
2〜3ページは見開きで、<再発足の日本野球近況>と題された、対話形式の文章。プロ野球各チームの現状と、今後の球界への期待が語られています。
そして最後の4ページ目には、<東西優秀対抗戦 東軍打撃に先勝>と見出しがついた戦評。5回までは展開が詳しく書いてあるのですが、前述のとおり荒れた展開となったからか、6回以降はわずか3行でまとめられているのでした。
ともあれ、新聞とは別に、これほどの速報メディアがあったとは……。開催を決めた連盟と参加した選手以上に、何か熱いものを感じずにはいられません。
最後に、<編集だより>にある雑誌編集者の声を紹介しておきたいと思います。
<五百四十九号発行以来、再度の戦災と空襲のため、ついに休刊を余儀なくされましたが、いよいよ一月号より発行することになりました。本号は臨時号で、東西対抗戦を機会に本誌の健在をお知らせしたものに過ぎませんが、一月号は次の内容で相撲と野球記事を満載して、本邦における唯一のスポーツ雑誌として再発足いたしております。>
<編集部よりお知らせ>
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『伝説のプロ野球選手に会いに行く』を開設しました。プロ野球の歴史に興味のある方、復刻ユニフォームを見ていろいろ感じている方、ぜひ見ていただきたいです。
文=高橋安幸(たかはし・やすゆき)/1965(昭和40)年生まれ、新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。雑誌編集者を経て、野球をメインに仕事するフリーライター。98年より昭和時代の名選手取材を続け、50名近い偉人たちに面会し、記事を執筆してきた。昨年11月には増補改訂版『伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)を刊行。『野球太郎No.003 2013春号』では中利夫氏(元中日)のインタビューを掲載している。
ツイッターで取材後記などを発信中。アカウント
@yasuyuki_taka
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