はじまりは2001年オフ。同年、右肩のケガもあり0勝4敗に終わった藪が背番号を18から4に変更したことが起点だった。「背番号18は藪しかいないやろ!」と少し違和感を覚えたファンも多かったはずだ。
翌2002年は新加入の守護神・バルデスが18番を背負って22セーブ、防御率1.54と上々の働きを見せたが、いかんせん目が釘づけになったのは鋭角に剃り上げられた独特なモミアゲ。背番号18だったことは忘却の彼方だ。好成績を収めたが、軟投派の頼りなさもあり、1年で自由契約になってしまったことも記憶に薄い一因だろう。
続いて18番を背負ったのは、2002年のドラフト自由獲得枠で龍谷大から入団した杉山直久。こちらも2005年にローテーションに食い込むと9勝6敗、防御率2.94の好成績で日本シリーズ進出に貢献している。
しかし、正直に言うと「あらためて」貢献に気づいた。2005年の阪神は強力打線はもちろんのこと、先発陣では下柳剛、安藤優也、福原忍らがのらりくらりと勝ち星を積み上げ、さらにはエース・井川慶がメジャー移籍を公言し、勝負所の大一番で打ち込まれるなど、話題性に富んだ面子が揃っていた。
9勝を挙げた18番・杉山は規定投球回にギリギリ届かなかったこともあって、個性派のなかで埋没。どこか平凡な存在になってしまった……。日本シリーズでの登板もあったが、2005年は「33対4」の悲劇の日本シリーズ。阪神ファンの大半は茫然自失で「濃霧コールド」くらいしか記憶に残っていない(厳密には意図的に忘れた)。
杉山は2006年、2007年もローテーションに食らいついたが、ともに打線の援護に恵まれず4勝止まり。2008年オフには、球団が横浜からFA宣言した三浦大輔と「背番号18」を手土産に交渉するために、杉山は背番号17に。残念ながら「18番=杉山」のイメージを植えつけられないままフェードアウトしていった。
次に18番を背負ったのは二神一人。2009年のドラフト1位(外れ1位)で法政大から入団。将来のエース右腕と期待されたが、なかなか1軍に上がれず、2013年オフに背番号66に変更。結局、7年間で1勝も挙げられないまま、昨オフに現役を退いている。
ちなみに2014年オフには背番号18を手にロッテからFA宣言した成瀬善久の獲得を狙ったが、三浦に続いてこちらも失敗に終わっている。
プチ呪われ番号になりつつある阪神の背番号18。馬場皐輔はこの流れを変えられるか。持ち前のパワーピッチングで一抹の不安を吹き飛ばしてほしい。
文=落合初春(おちあい・もとはる)