2012年、レンジャーズに入団したダルビッシュは4月9日のマリナーズ戦でメジャーデビューを果たした。
6回途中まで5失点という苦しい投球だったが、初登板で初白星を挙げる。前半戦だけで10勝と勝ち星を重ねると、最終的には16勝と、2007年に松坂大輔(当時レッドソックス)が記録した15勝を上回る、日本人投手1年目の勝利数を更新した。
2年目の2013年には、更なる進化を遂げる。シーズン初登板となった4月2日のアストロズ戦では、9回二死まで完全試合を続ける好投を展開。2年連続でオールスターゲームに選出されるも、前年に続いて登板はなかった。この年は奪三振を重ね、終わってみれば13勝9敗、277奪三振でア・リーグの最多奪三振を獲得。サイ・ヤング賞の候補にも選ばれたが投票の結果、惜しくも2位だった。
2014年は4月を終えて、わずか1勝となかなか勝ちがつかない状況が続く。しかし5月22日のタイガース戦から4連勝と徐々にエンジンがかかる。7月28日のヤンキース戦では、シーズン10勝目を挙げ、日本ハム時代を含めて9年連続2ケタ勝利を達成した。
ここまで順風満帆にきたダルビッシュに試練が訪れる。先発した8月9日のアストロズ戦のあと、右ヒジの炎症で故障者リストに入ってしまう。9月になると、レンジャーズのジョン・ダニエルズGMからシーズン中の登板回避が発表されれた。
2015年、ダルビッシュは春季キャンプ初日からブルペンに入り、順調に調整していく。ところがオープン戦初登板となった3月5日のロイヤルズ戦で、右腕の張りのためわずか12球で降板。精密検査の結果、右ヒジの側副じん帯を損傷していたことが判明。3月17日にはトミー・ジョン手術を受け、レンジャーズ入団後初めてメジャーでの登板なしのシーズンに終わった。
今年は春季キャンプで2月29日に捕手を座らせて投球練習を実施。ブルペンで15球を投げた。
4月13日にはマイナーの打者を相手にフリー打撃で登板し、ひとつずつ階段を登っていく。5月1日には2Aで初の実戦登板を行い2回無失点と結果を残す。ストレートも最速156キロを計測した。
その後もマイナーリーグで登板を重ね、投げるイニングも徐々に長くなる。5月23日には5度目のリハビリ登板を2Aで行い、6イニングで87球を投げ、被安打3、奪三振6、無失点と好投。約1年9カ月ぶりとなる、メジャーへのマウンドへ大きく前進する結果となった。
そしてついに迎える復帰後初登板。ダルビッシュの投球に、日米の野球ファンが注目する。
文=武山智史(たけやま・さとし)