安仁屋宗八は、1964年広島に入団。当時アメリカ占領下の沖縄県から初のプロ野球選手誕生ということで大いに話題を呼んだ往年の名投手だ。
引退した1981年から1997年まで1、2軍投手コーチ、2軍監督を歴任。2005年には再び投手コーチに就任。黒田博樹、大竹寛(巨人)などを大成させた名伯楽だ。
そんな安仁屋の最初の伝説は、その強靭な肉体。現在71歳ながら、その年齢からは想像もできないくらい、がっしりとした体格をしている。先発、リリーフとほぼ毎年40試合以上登板したタフな身体はいまだに健在だ。
黒田が完封勝利を飾った4月2日には、始球式に登場。現役時代と変わらぬフォームから98キロのスピードボールを披露。あるテレビ番組の企画では、3時間にわたって330球を投じるなど、そのタフネスさには、ただただ驚かされる。
頑丈さは、その肉体だけにあらず、内臓もまた強い。70代でありながら、その酒量は無尽蔵だ。現役時代から二日酔状態で練習していた事もザラだっただけに、現在も朝まで飲み続ける事もザラなのだ。
そんな酒豪として名を馳せた安仁屋。その酒にまつわる伝説には事欠かない。
コーチ時代の2005年には、広島ファンにはお馴染みの「森伊蔵事件」が発生している。「森伊蔵事件」とは、日南春季キャンプにて、山本浩二監督の愛飲していた高級焼酎・森伊蔵を。木村一喜捕手が盗み飲みしたことが発覚。罰として、背中に「森伊蔵を飲んだのは私です」と書かれた張り紙を貼られたまま、練習していた事件だ。
実はこの「森伊蔵事件」に、安仁屋が深く関わっているという説もある。木村も森伊蔵を飲んだが、飲み干したのは安仁屋だったと言う説も根強い。真相は当人たちだけが知るところであるが、酒豪で鳴らす安仁屋が飲み干す様子は、容易に想像できるだろう。
また安仁屋は、選手達に外で飲むこと遊ぶことを強く命じている。その理由は、外で飲む事によりファンとの交流を大事にしてほしいからだ。飲みの席で選手と交流できたファンは間違いなくその選手を応援してくれる。
沖縄出身で多くのファンに支えられてプレーしてきた経験から、ファンの存在の大きさを最も知る選手だけにその言葉は重い。
安仁屋伝説の最後を飾るのは、広島ファンにとってシーズン前の風物詩ともいえる「安仁屋算」だ。シーズン前に、安仁屋が広島投手陣のそれぞれの勝ち数を予測。その星勘定はネット上などで「安仁屋算」と呼ばれているのだ。
例年、全員の勝ち数を合計すると100勝を超える「安仁屋算」。どんなにチームに不安があっても、ポジティブな気持ちになれる不思議な計算である。
この「安仁屋算」も、広島への愛着があってこそ。決してふざけているわけではない。「この選手なら、このぐらいの数字はあげる能力はある」と、そう信じる気持ちと、それくらいは勝ってもらわなくては困るという、叱咤激励の意味も含まれているのではないだろうか?
いずれにせよ、広島への愛情が溢れる計算であることは間違いない。ちなみに今年の予想は、先発陣だけで70勝を予想。これでも例年よりやや控えめとなっている。
「日本一を見るまでは死ねない」と、口癖のように言う安仁屋。あの肉体を見れば、あと1回といわず2回、3回と、優勝を目撃できるのではないか。カープを愛する偉大なレジェンド・安仁屋宗八のためにも、チームは優勝に向けて邁進して欲しい。(文中敬称略)
文=井上智博(いのうえ・ともひろ)