【「野球芸人」アンガールズ・田中卓志さんインタビュー】
《誇らしかったカープと衣笠祥雄》
どーもー。広島カープ芸人、広島県出身のアンガールズ・田中です。
カープを好きになったキッカケは、やっぱり広島県民だから、というのもありますが、小学校3年生の時にお父さんとカープの試合を観に行ったんですよ。その頃、ちょうど衣笠(祥雄)さんが連続試合出場の世界記録にあともう少し、という時で、球場でそのアナウンスが流れるんです。それを聞いて「そういう凄い選手がカープにいるんだ!」とすごく誇らしく思えたんですよね。その試合がキッカケでしたね。
ちなみにその試合は大洋との一戦だったんですけど、途中から雨が降ってきちゃって、中断になったんです。点差が離れていてカープが負けていたので、「これはもういけんね」とお父さんと話して、試合終了を待たずに球場を出たんですね。実家が広島市民球場から2時間以上かかる地域なんですよ。
ところが、帰りの車でカーラジオを付けたら試合が再開されていて、そこからカープが逆転勝ちしたんです。「あー、最後まで見れたらなぁ」という悔しい思いと、「カープって強い!」という印象が残ったんです。そこからカープを注目して見るようになりました。テレビで野球中継をやっていたら必ず見て、テレビが終わったらラジオに切り替えて試合終了まで聞く、というのをずっとやっていましたね。
《Aクラスが当たり前だった時代》
ファンになったキッカケが衣笠さんだったので、当時好きだった選手もやっぱり衣笠さん。でも、他にもあの頃(1980年代〜1990年代前半)のカープにはいい選手がたくさんいたんです。投打の柱がしっかりいて、すごく強かった!
先発では北別府(学)さんや川口(和久)さん、中継ぎでは川端(順)さんとかも活躍して、「広島投手王国」と言われていましたね。打の方も細かく繋ぐタイプが多いようでいて、打つ時はしっかり打つ。Bクラスになることなんてないだろう、という時代でしたから。
一番凄かったのが、1990年代前半の和製打線、野村(謙二郎)・正田(耕三)・前田(智徳)・江藤(智)・金本(知憲)・緒方(孝市)というラインナップ。全員走れて、打率も残せて、守れて、ホームランも打てる。凄まじいですよね。投手王国の期間が長いカープにあって、当時だけ珍しく投手の数が揃っていなくてなかなか優勝はできませんでしたけど、凄まじい打撃力でAクラスはずっとキープしていましたから。後の低迷期なんて全く想像していませんでした。
限定ユニフォームで以前、カープ黄金期の青地のユニフォームが発売されたんですけど、あの限定ユニは欲しかったですねぇ。まあ結局、販売期間中に間に合わなくて手に入れられなかったんですけど。