野球の攻撃において「打力=攻撃力」という図式は、ほぼ成立する。ただ、7割程度は失敗するのが打撃であり、それだけに頼ってばかりでは、効果的に得点することが難しくなる。そこで重要なのが走塁や犠打といった、「打」をアシストする部分だ。
連載企画「歴史に名を残せし者たちの軌跡〜プロ野球◯◯列伝!」の第2回は、走塁のスペシャリスト、バント職人といった一芸に秀でた選手たちを掘り起こしてみたい。
走塁、とくに代走のスペシャリストといえば、近年の代表選手は鈴木尚広(元巨人)だろう。代走での132盗塁は歴代最多。2016年限りで惜しまれながらユニフォームを脱いだが、その勇姿をまだまだ見たかったファンは多かったのではないだろうか。
ただ、正真正銘「走力」という一芸のみを買われてプロ入りした選手といえば、飯島秀雄(元ロッテ)をおいて他にはいない。
陸上短距離の日本代表として、1964年東京、1968年メキシコでのオリンピックに出場しており、1965年のユニバーシアードでは優勝。100メートルの最高タイムは手動計時で10秒1(当時の日本記録)をマークしている。
飯島は、早稲田大学陸上部から茨城県庁へ進んでいたが、その足を見込んだロッテが、オーナーの意向もあって1968年のドラフトで9位指名。中学までしか野球経験がなかった飯島がプロ入りを果たしたのだ。
1年目から出場機会があり、初盗塁は開幕2戦目の南海戦。9回に代走で登場し盗塁を敢行。捕手はあの野村克也だったが、慌てた野村の悪送球もあって、見事に二塁を陥れることに成功。一気に名を挙げた。しかし、その後は故障がちだったこともあって3年間で退団。通算の盗塁数は23にとどまった。
本人は、のちに出演したテレビ番組の中で、球界への転身について「成功できなかったので、後悔している」と述懐。たしかに選手生活は目立たない成績で終わってしまったかもしれないが、飯島見たさにファンが球場へ殺到し、観客動員には多大な貢献を果たした。いかに多くの人の関心を呼び、胸を躍らせたかということだ。それだけでも、十分に意義ある挑戦だったのではないだろうか。
現役選手で通算犠打数が最も多いのは誰か、即答できればかなりのプロ野球通と言っていいだろう。
正解は、302犠打を記録している田中浩康(DeNA)。ヤクルト時代に293犠打、DeNAに移籍後は9犠打を記録しており、歴代のランキングでは1位・川相昌弘(元巨人ほか、533犠打)、2位・平野謙(元中日ほか、451犠打)、3位・宮本慎也(元ヤクルト、408犠打)、4位・伊東勤(元西武、305犠打)に続き、5位につけている。
川相の記録は2003年に通算513犠打を達成した時点でエディ・コリンズの持つメジャーリーグ記録(512犠打)を上回り、ギネス認定もされている。川相はそこからさらに20以上も数字を伸ばしており、さすがに不滅の記録かと思われたが、猛追する現役選手が出現した。今宮健太(ソフトバンク)だ。
今宮は、1軍に定着した2012年から昨年までの6年間で4度のリーグ最多犠打を記録。ここまでの通算287犠打は、歴代10位まで上昇してきている。今季中に田中の記録を抜き、現役最多にまで躍り出てもおかしくない。
8月22日の日本ハム戦で、今宮は3本の送りバントを難なく決め、チームの勝利に貢献した。ペナントレース終盤からポストシーズにかけての厳しい戦いを勝ち抜くには、こういう地味な仕事をきっちりこなす職人の存在が欠かせない。
(成績は8月23日現在)
文=藤山剣(ふじやま・けん)