《少年時代の私は“野生児”という表現がぴったりと当てはまるような遊び方をしていました。(中略)クワガタは毒ヘビやクマバチを避けながら、命懸けで捕っていました。危険を早めに察知することも自然から学びました。野球以外に習い事は一切やりませんでした。まさに自然が“先生”だったのです》(伊東勤『勝負師』より)
熊本の大自然を“先生”と呼ぶ伊東監督。泳ぎも実家近くの「御船川」で覚えた。いや、覚えたというよりも、いきなり足が着かない深いところに放り出され、「泳がざるをえない」という状況に身を置いたことで自然とマスターしたという。
そんな自然での遊びを通じて、野球にもつながる技術や運動神経を磨いていった。たとえば、川の水面に石を投げる「水切り」だ。
《石はスナップを利かせないと真っすぐに飛ばず、(中略)さらに強烈なスピンを与えないと、向こう岸まで届きません。この動きはキャッチボールの基本と同じで、私はそれらを遊びの中で身に付けていました》(伊東勤『勝負師』より)
この“水切りトレーニング”の成果か、プロでも指折りの柔らかい手首を手に入れた伊東少年。ほかにも、大きな石を遠くに飛ばす遊びで腕力を鍛え、木に実った果実を石で落とす遊びを通じてコントロールを培ったという。
実際、小学校時代から捕手だったという伊東少年は、プロに入るまで盗塁を許した経験がほとんどなかったという。高校時代にもなると、各校に伊東の強肩は知れ渡り、「伊東から盗塁をするのは至難の業」という評価が定着していた。
熊本の自然によって育まれた、捕手・伊東勤の肩。その素養があったからこそ、伊東ならではのキャッチャー像ができあがっていった。
《かねて私はいいキャッチャーとは、盗塁を刺すキャッチャーではないと思っていました。ランナーに盗塁を企画することさえためらわせるのがキャッチャーの理想像ではないでしょうか》(伊東勤『勝負師』より)
伊東少年の遊び場であり、“先生”でもあった熊本の大自然。稀代の名捕手・伊東勤を育て上げた熊本の大地。一刻も早く、その地に平穏が訪れることを祈念したい。
文=オグマナオト(おぐま・なおと)