セネタースから始まり、東急フライヤーズ、東映フライヤーズなどと名称変更されてきたチームを、1973年に日本ハムが買い取ったことで生まれたのが日本ハムファイターズ。
「ビッグバン打線」を擁してパ・リーグの他球団を震え上がらせていたが、本拠地が巨人と同じ後楽園球場と東京ドームを使っていたため、影に隠れる形となっていた。そんな折、2004年の北海道移転が大きな転機に。
それまでプロ野球チームがなかった北海道に引っ越すと、侍・小笠原道大を筆頭に、FAで獲得した新庄剛志や稲葉篤紀、移転後のドラフトで獲得したダルビッシュ有らの活躍により、パ・リーグはおろか12球団でも有数の人気チームに成長した。
その後も中田翔に大谷翔平といったその年の目玉選手を次々と獲得し、チーム力を高めているのだが、特に昨年のオフはチームのレジェンドナンバーに変更する選手が続々と登場。今春は海外でのキャンプも行い、並々ならぬ意気込みが感じられる。そんな日本ハムの背番号に迫っていこう。
2012年秋、メジャーリーグ挑戦を掲げていた大谷翔平を、ドラフトで強行指名して入団までこぎ着けた。交渉の際には、ダルビッシュ有が付けていた背番号「11」を用意して本気度をアピールした。
メジャー思考の強い大谷を口説き落とすために、メジャーに移籍した偉大な先輩の背番号を渡す作戦が効果的。もちろんこれがすべてではないが、結果的に大谷は入団を決めた。
球団が「11」を用意した背景には、「ダルビッシュ以上の活躍をして、『11』の代名詞にならないと胸を張ってメジャーに行けないよ」という意図が含まれているようにも思える。
一方で、野手の花形背番号はというと、「6」と「1」が挙がる。前者は東京時代からミスターファイターズ・田中幸雄がつけていた番号で、後者は移転後に加入した新庄剛志の番号だ。
現在は中田翔が入団と同時に「6」を与えられ、陽岱鋼は当初「24」をつけていたが、2013年から「1」を託された。
田中と中田はプレースタイルこそ違えど、“ミスター”の後継者としてはこれ以上ない存在だし、陽に至ってはプレーはもちろんのこと髪型などの容姿も新庄を彷彿とさせるものがある。
また今季は日本ハムにしては珍しく、複数の選手が同時に背番号を変えた。
西川遥輝が「8」→「7」、近藤健介が「54」→「8」、大野奨太が「2」→「27」、杉谷拳士が「61」→「2」という具合だ。
それぞれの背番号の代表的な選手を順番に挙げていくと、糸井嘉男、金子誠、中嶋聡、小笠原道大となっており、北海道時代を象徴する選手がズラリと揃う。
これは各々がその番号を背負うに値する選手になったと、球団が判断したからだろう。選んでくれた関係者を落胆させないためにも、これらの選手には一層の奮起が求められる。
どんな番号であろうとも、最初にもらった背番号は愛着がある。例えばそれが誰の色にも染まっていなければ、自分の代名詞にすることができるからだ。
しかし日本ハムは、有力な選手にあえてレジェンドの背番号を与えることで奮起を促し、チームを強化している。
「11」「6」「1」「2」……挙げ始めるとキリがないが、球団から選手に向けて、高い壁を超えろという無言のメッセージが込められているように感じる。
大抵の球団は、功労者の背番号は敬意を表すために数年寝かせておくものだが、日本ハムはまさに真逆の発想。しかし、それこそが日本ハムの強さの源なのかもしれない。
文=森田真悟(もりた・しんご)