「ハードな野球人生だったと思います」。自分のこれまでの歩みを、山崎はこう振り返った。
静岡県に生まれ、名門・静岡商業高校に進学した山崎だったが、いたって平凡な投手だったという。プロなどまったく頭になく、大学進学を前に野球をやめようと考えたこともあったそうだ。
それでも縁あって入った中部大学で心機一転、上を目指そうと決意。しかし大学では、本人と周囲のモチベーションの違いに悩み、退学することに……。
その後はアメリカ行きも考えるが、社会人野球のNTT東海から誘われたことで新たな道に進むことを決める。
山崎はNTT東海に入社したあとに、将来を考えるいくつかのきっかけに出くわす。
同期の岩瀬仁紀(中日)との出会い。NTT支社チームの統合。初めて出場した都市対抗野球での覚醒と、2000年に行われたシドニー五輪代表候補への躍進。
これらが重なり、いよいよ山崎はプロ野球選手を意識し始める。
そして紆余曲折がありながらも、2005年に新球団の楽天から指名の連絡が入る。ただ、このとき、山崎は29歳になっていた。
「最後のチャンスだと思っています」。ドラフト指名後に、山崎は記者会見でそう発し、1年目から1軍に昇格。初安打を記録した。
しかし一度も1軍から声がかからなかった4年目に戦力外通告。そのときに返した第一声は、「ありがとうございました」だったという。「燃え尽きることができた」という気持ちが、すべて詰め込まれた一言だ。
今は楽天イーグルスベースボールスクールで、ジュニアコーチの指導者を務めている山崎。そこでは自身の野球人生を、小中学生に、こう伝えているそうだ。
「技術はそんなに簡単に上達するものではありません。ですが諦めなければ、まれに僕のような出来事も起こります」
遅咲きのプロ野球選手・山崎のドラマを、本誌でもご覧いただきたい。
(※本稿は『野球太郎No.020』に掲載された「ドラフト最下位指名選手 【2005年(大学生・社会人ドラフト)】 山崎隆広(楽天9巡目)の場合」をリライト、転載したものです)
文=森田真悟(もりた・しんご)