四国四商の雄が帰ってきた。
第46回明治神宮野球大会、高校の部で、公立校から唯一の出場となった香川県立高松商業高校が初優勝を果たした。準決勝では昨年夏の甲子園優勝校・大阪桐蔭(大阪)に競り勝ち、決勝では今春センバツ優勝校の敦賀気比(福井)に終盤で大逆転。強豪校を破っての優勝だけに、その強さは決してフロックではない。
近年こそ甲子園には縁がなかった高松商。だが、オールドファンにとっては高松商こそ、甲子園の歴史を語る上で欠かすことができない学校だ。高校野球史に輝く、高松商野球部の栄光を振り返ろう。
高松商野球部は今年が創部106年。この夏、「高校野球100年」で沸いたことを思えば、その歴史の長さがわかるはずだ。
1924年には初開催となった春のセンバツ大会に出場し、見事に優勝。栄えある「初代センバツ優勝校」として、その名を球史に刻んでいる。
翌1925年には夏の甲子園大会でも全国制覇。深紅の優勝旗を初めて四国の地にもたらし、春と夏の両方で優勝を経験した初めての学校となった。この頃に活躍したのが、阪急初代主将として活躍した宮武三郎や、巨人監督として数々の栄光を築いた水原茂など。日本野球に大きな足跡を残した野球人を多数輩出したことも、高松商の大きな功績だ。
1927年の夏の甲子園大会で、2年ぶり2度目の夏制覇を果たした高松商。ところが、一部からこんな野暮な声があがった。
「春のセンバツを制した和歌山中優勝メンバーが出ていれば、結果は違ったのではないか?」
同年春、センバツ大会を制したのが当時最強軍団とうたわれた和歌山中。この優勝の副賞として、和歌山中には夏休み中のアメリカ遠征旅行がプレゼントされ、夏の大会は補欠メンバーで臨まなければならなかった。和歌山中野球部がすごいのは、その補欠メンバーでも地方大会を勝ち抜き、甲子園に出場したこと。さすがに甲子園大会では初戦敗退となったが、主力抜きでも健闘したことで、「和歌山中がベストメンバーなら夏の結果も違ったのでは」という声が生まれたのだ。
春の王者・和歌山中、夏の王者・高松商。真の王者はどっちだ!? 日増しに高まる野球ファンの声を受ける形で、遂に同年11月6日、大阪・寝屋川球場で直接対決が実現。この試合を高松商が制したことで、史上初の「春夏統一王座校」となったのだ。ちなみに、春の王者と夏の王者による公式の試合はこのときだけ。高松商は“史上唯一の春夏統一王座校”ともいえるのだ。
四国ではこの高松商以外にも、愛媛県の松山商、徳島県の徳島商、高知県の高知商と、各県の県立商業高校が野球名門校として君臨した時代が長かった。この4校は「四国四商」と呼ばれ、全国優勝回数は松山商が春2回、夏5回。高松商が春2回、夏2回。徳島商と高知商も春1回と続く。この4校がしのぎを削り、切磋琢磨することで四国野球のレベルを突き上げ続けてきたのだ。
そんな栄光も今や昔。四国全域から新興校や強豪校が生まれ、「四国四商」といえども地方大会を勝ち抜くことは難しい時代になって久しい。実際、高松商は1996年の春と夏に甲子園に出場して以降、地方大会を勝ち抜くことはずっと叶わなかった。
苦節20年。秋季四国大会を26年ぶりに制し、そして神宮大会でも優勝したことで20年ぶりのセンバツ出場を勝ち取った高松商野球部。かつて甲子園を席巻した古豪が、21世紀にどんな活躍をみせてくれるのか。今から来春のセンバツ大会が楽しみでならない。
文=オグマナオト(おぐま・なおと)
1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」、「AllAbout News Dig」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)では構成を、『漫画・うんちくプロ野球』(メディアファクトリー新書)では監修とコラム執筆を担当している。近著に『福島のおきて』(泰文堂)。Twitterアカウントは@oguman1977(https://twitter.com/oguman1977)