2015年シーズン以来4年ぶりに復帰し、リーグ優勝を果たした巨人の原辰徳監督は、これまでに選手やファンへ向けてたくさんの言葉を発信してきた。そのなかには、野球と直接的な関係のない一般社会や生活に役立つものも多くある。今回はそんな原監督の言葉を紹介したい。
原監督が発したもので、たとえばこういった言葉がある。
「本当に人の心を動かすものは単純な人の気持ちなのです」
これは初めて監督に就任した2002年に残したものだ。
監督はコーチや選手と接しながら、戦う集団として一つにまとめながら勝利、優勝を目指すことが求められる。そのためには、全員の心を動かさねばならないわけだ。
その動かし方は巨額の富や恐怖ではなく、「人の気持ち」にあると説いているのである。当時、原監督は自身が設定した監督賞に気持ちを乗せた手紙を添えたという。その心遣いが就任一年目の日本一につながったのではないだろうか。
まさに、これは野球だけの話にとどまらない。会社や組織では社長、小さい組織ならその責任者は全員の心を、同じように動かさなければ目標の達成は難しいだろう。人の気持ちを乗せること、これは単純なことであり、あらゆる場面で語られていることでもある。
それでも今も言われ続けているというのは、本当の意味で大切なことなのだろう。
監督として選手をマネージメントするとき、その手法はいくつもある。監督、選手はともに人間だ。そこにパターン化された正解はなく、個々に応じて対応を変えていかねばならない。
そのなかでも変わらない部分ももちろんある。いわゆる根っこの部分だ。原監督はこう言っている。
「いいときは選手のおかげと思い、悪いときは選手の楯になること」
試合に勝っても負けてもプレーしているのは選手である。監督は局面に応じて、実際にプレーする選手へコーチを通じて指示を出すことが試合中の役割になってくる。いわゆる采配だ。
采配が的中し勝つこともあれば、失敗に終わり負けるときもある。自分の思い通りに選手がプレーを遂行できないことだってある。
そんなとき、うまくいけば選手のおかげ、悪ければ自分のせいとして選手を守る。それが原監督の根本的な考え方だ。
社会人生活でも似たような場面があるのではないだろうか。
商談がうまくいったとき、業務が改善できたとき、目標を達成したとき…そんなときに責任者がどのように考えるか。自分の手柄とするのか、部下のおかげと褒めるのか…。
起きた結果は変わらないかもしれないが、どちらのほうが同じ目的を持つ仲間として働きたいだろう。そう考えると答えはひとつである。
よいときこそ周りのおかげ、悪いときは自分が前に出る。そんな心がけが組織を強くする。
昨今、企業や政治家の不祥事がテレビやインターネットを賑わしている。最終的には責任者に当たる人物が謝罪をし、一旦の収束を見せるわけだが、そこに至るまでに責任のなすりつけあいになっていることが多い。
会社などの組織でも、責任者である人物が部下のせいにすることで泥沼の様相となる、のを目にすることは少なくない。そんなときには、このような原監督の言葉がしっくりくる。
「指導者には責任をとる勇気と覚悟さえあればいい」
これは2009年の日本シリーズで原監督が自らマウンドに足を運んだことを話したもの。原監督の場合は「指導者=監督」となるが、一般社会に置き換えるとこれは社長であったり、上司、責任者になる。
原監督は自らマウンドへ行くことで責任は自分が負うものとなる。そのような思いだったという。責任を取る覚悟、そして勇気を持ち合わせていたからこその行動だろう。
このように原監督の言葉は野球に関することを話していても、実生活で役に立ちそうなものは多い。ふとしたとき、原監督の言葉を引っ張り出してみると様々なヒントを得られるかもしれない。
■参考文献
『原辰徳 勝利をつかむ情熱の言葉』(ぴあ/著・『原辰徳 情熱の言葉』編集委員会)
文・勝田聡(かつた・さとし)