「高校野球100年」という節目の年に行われた第97回全国高校野球選手権大会。決勝戦を終えてからはや一週間以上が過ぎたが、深紅の優勝旗を手にした東海大相模ナインは、報告会やら祝賀会で、今月いっぱいは忙しい日々を過ごしているのではないだろうか。
だが、くれぐれも優勝旗の管理には注意していただきたい。というのも、過去には1954(昭和29)年の第36回大会で優勝した中京商(現中京大中京)が手にした優勝旗がこつ然と姿を消し、行方不明になった事件があったからだ。
事件は1954年の11月末に起きた。中京商の校長室に飾ってあった、その夏の甲子園優勝旗が消え、残った旗竿には替わりに軟式野球部が優勝して持ち帰った旗がつけてあり、学校中が大騒ぎとなった。大事な甲子園優勝旗を失っては...、と学校側は全生徒を動員し校内の隅々まで捜索。周囲の山狩りまで行ったが行方はわからないまま。さらに40〜50人の刑事が動員され、殺人事件なみの捜索態勢が敷かれたにも関わらず、いっこうに見つからなかった。
困った学校側はひとまず、主催者である朝日新聞社を謝りに訪れたが、当時の村上会長や上野取締役は「失ったモノは仕方ない」などとは絶対に言わなかったそうで「出てくるまで絶対に探してください」と冷たい返事しかしなかったとのこと。中京商の校長も大弱りだったという。その犯行手口から「学校に恨みを持つ者では?」「学校内部の者の仕業に違いない」と様々な憶測が飛び交い、ある野球部員は家まで捜索されるなど散々な思いをしたそうだ。
年も明けて1955(昭和30)年の2月、事件も迷宮入りか...と諦めかけていた時、ある宗教団体の関係者が学校を訪れ「我々の力で優勝旗を探し出しましょう」と豪語。しかしながらその団体とは関係なく、意外なところから優勝旗は発見された。中京商から約600メートルほど離れた名古屋市立川名中学校の床下に、風呂敷に包まれた優勝旗が置かれていたのだ。見つけたのはその中学に出入りしていた大工さんで、廊下を修理している最中に発見。捜索を始めてから85日後のことであった。
ちょうど練習中だった中京商ナインも川名中学校へ駆けつけて優勝旗と再会し、ボロボロと涙を流した。校長もその知らせを受けて感涙にむせび、全国の高校野球ファンもホッと胸をなで下ろしたという。怪しい宗教団体はどさくさに紛れて姿を消し、結局、今でも犯人は不明だ。この事件以来、優勝旗を銀行の金庫に預ける学校が増え、管理には神経を使うようになった。
その後、第40回大会に優勝旗は新調された。この初代優勝旗は大会期間中は甲子園球場内の「甲子園歴史館」で展示され、大会後は大阪にある「中沢佐伯記念野球会館」で保存されている。