1953年、2人のルーキーが遊撃のレギュラーを獲得している。1人は豊田泰光(西鉄)。水戸商時代に強打で鳴らした豊田は、開幕当初は下位打線でスタート。そこからメキメキと頭角を現し、最終的には中西太、大下弘の前を打つ2番打者に。当時の高卒シーズン最多となる27本塁打を放ち、新人王を獲得した。
その後も「野武士軍団」西鉄の中心選手として日本シリーズ3連覇に貢献する。
そしてもう1人は立命館大を中退して阪神に入団した吉田義男。豊田同様にシーズン途中から2番打者に定着した吉田は「つなぐ役割」を果たし、リーグ最多の28犠打を記録する。
翌1954年、巨人で遊撃のレギュラーを獲得したのが広岡達朗。堅実な守備に加えて打率.314、15本塁打と攻守で躍動し新人王に。吉田とはセ・リーグのライバルとして、しのぎを削った。
1980年のドラフト1位で、プリンスホテルかから西武に入団した石毛宏典。ルーキーイヤーの1981年は、ロッテとの開幕戦に「1番・遊撃」でスタメン出場。5回にロッテのエース・村田兆治からプロ初本塁打を放つなど猛打賞を記録。鮮烈なデビューを果たした。
この年は打率.311、21本塁打、25盗塁とルーキーとは思えぬ活躍ぶりで新人王を獲得。その後は常勝西武のリーダーとしてチームをけん引していく。
1988年には、PL学園のキャプテンとして春夏連覇を達成した立浪和義が中日でルーキーイヤーを迎える。星野仙一監督は不動の遊撃だった宇野勝を二塁へコンバートし、立浪を抜擢。大洋との開幕戦では、「2番・遊撃」という高卒ルーキーでは異例ともいえる起用で、開幕スタメンを勝ち取る。
この年は110試合に出場し.打率223。しかし、打率こそ低かったが、22盗塁の俊足と持ち前の野球センスを発揮し、チームのリーグ優勝に貢献した。
その後は右肩痛の影響で二塁へコンバートされるが、チームの主力として長年活躍し、通算2480安打の記録を残した。なお立浪の放った487二塁打は日本記録となっている。
1996年のドラフト5位でJR東日本東北からロッテに入団した小坂誠も、1年目の1997年の開幕戦から、その高い守備力と俊足を買われて「2番・遊撃」で出場。レギュラーに定着し、松井稼頭央(西武、現楽天)と盗塁王争いを繰り広げる。タイトルこそ取れなかったが、56盗塁で新人最多盗塁記録を打ち立て、新人王となった。
翌1998年には再び松井と盗塁王を争い、43盗塁で松井と盗塁王のタイトルを分け合った。
近畿大で強肩強打の遊撃として鳴らし、巨人に入団した二岡智宏。1年目の1999年は川相昌弘(現巨人3軍監督)との併用が続いたが、シーズン途中から遊撃のレギュラーを獲得した。
新人王は20勝を挙げたチームメイトの上原浩治に譲ったが、打率.289、18本塁打と前評判通りの活躍を見せつけた。
文=武山智史(たけやま・さとし)