今から約3年前となる2017年5月3日、明石トーカロ球場で開催された春季兵庫県大会準々決勝、市西宮校対報徳学園戦で山本拓実(中日)の投球を初めて見た。衝撃だった。
「え? ちょっと待って? こんなえげつないボール投げるピッチャー、イチ二シにいたっけ!?」
高校3年生になったばかりの17歳だった山本。体は小柄だが、投げるボールは目測で140キロを軽く超えていた。ホームベース際での伸びも強烈。後に知ったが、この日、山本は自己最速を更新する145キロを計測していた。どこからどう見ても高校球界トップクラスのストレートだった。気持ちを前面に押し出し、ダイナミックに投げ込む姿は「小柄な則本昂大(楽天)」のようだった。制球力も抜群だった。
兵庫県西宮市で暮らす筆者。自宅から通学可能な範囲に位置する市立西宮高校、通称“イチニシ”が県内有数の公立進学校であることは知っていたが、ドラフト候補に位置づけたくなるような剛腕が背番号1を背負っている事実は知らなかった。山本は前年夏の兵庫大会で2年生ながらノーヒットノーランを成し遂げており、「イチニシのピッチャーがノーノーをやった」という情報は覚えてはいたが、「ドラフト候補レベル」という評判は聞こえてこなかった。
報徳学園の3番を務める2年生遊撃手・小園海斗(広島)の成長確認が、明石に足を運んだ1番の目的だったが、私の視線の大部分はこの日、山本に注がれていた。
山本が投げていた球種は大半がストレート。しかし、強豪・報徳学園打線がとらえられない。内角を果敢に突かれ、差し込まれるシーンも多かった。5回2死までパーフェクトピッチングを展開し、6回終了時点で1対0と市西宮がリード。終盤に犠飛とスクイズで逆転を許し、1対2の惜敗を喫したが、山本が許したヒットは計3本。ドラフト候補に挙がっていた小園海斗はノーヒットに抑えた。その年の春のセンバツで4強入りを果たしたチームを追い詰めた投球は圧巻だった。
市西宮・吉田俊介監督は「高校2年目の冬が明け、春を迎えたら球速がぐっと上がっていた。春の公式戦で登板するたびに自己最速をどんどん更新していった」と証言した。高校入学時の山本のボディサイズは160センチ53キロ。スピードは「120キロに届くかどうか」だったという。
「入学時から腕の振りがすごくよかったので、体に力がつき、トレーニングでエンジンが大きくなれば、高校3年生になった時に140キロ台に届く可能性はある、というイメージは持っていましたが、まさか高3の春に145キロが出るとは……」
山本は自身の飛躍を生んだ背景を「理由は一つではないんでしょうけど、体重増と冬場のトレーニングは大きかった」と語った。
「米を1日6合食べるノルマを自分で決め、2年目のオフは筋力をつけるためのスクワットを軸とするウエートトレーニングに本格的に取り組んだんです。現在は167センチ70キロ。体重に比例するようにスピードも上がっていきました。バーベルをかついでおこなうハーフスクワットも高2の秋は100キロがやっとでしたが、今年に入って170キロを数回上げられるようになった。体のエンジンを大きくし、土台を強くすることが出来たことが大きな要因だったと思います」
私は下半身をしっかり使ったダイナミック、かつ合理的な投球フォームにも惹かれていた。なにより惹かれたのは「でんでん太鼓のごとく、下半身の動きにつられ、腕が勝手に振られていた」こと。腕は「振る」のではなく「振られる」ことが理想とされるが、山本の場合は体の回転につられ、腕がオートマチックレベルで振られているように感じられるフォームだった。そんな感想を山本に向けたところ「腕は振られるものという感覚で投げています」とのコメントが返ってきた。
「中学の時にとある野球塾に通っていたんですけど、その際に『言っとくけど腕は振られるものだからね』と言われて以来、『腕は意識して振るもんじゃない』と思っています。なので、投げる時の意識は下半身が大半で腕のことはほとんど考えてません。右の股関節にためた力をヒップファーストで捕手方向に漏れなく運びながら、最後に左股関節に一気に移していく。腕はしっかり脱力できていれば、勝手に上がり、体の回転と共に勝手に振られるんです」
以前、パ・リーグのチームに在籍する、ある主力投手が「腕は振るのではなく、振られることが理想ですよ。腕の振りの再現性だって高まりますし、コントロールだってよくなる。でもね、理想であることがわかっていても、実際に腕が“振られている”ピッチャーってプロでもそんなに多くないと感じています。プロに入ってくる段階で“振られる”感覚が身についていたら、なかなかのアドバンテージだと思いますね」と言っていたことを思い出していた。
「彼はプロで活躍できる器なんじゃ…?」
そんな予感に襲われながら、家路についたことをよく覚えている。
報徳学園を追い詰めたゲームを機に山本の評価は急上昇。
6月には大阪桐蔭サイドからの申し込みで練習試合が実現。センバツ優勝チームを7回3安打3失点に抑えたことでマスコミの注目度もアップし、一躍、ドラフト候補に躍り出た。
春の大会後に習得したタテのスライダーを引っ提げ、臨んだ最後の夏の兵庫大会では、自己最速を更新する148キロをマーク。報徳学園と相まみえた準々決勝で延長の末、再び1対2の惜敗を喫し、涙に暮れたが、ドラフト候補としての評価はさらに上昇した。
当初、卒業後の進路は「大学進学」と思われていたが、9月初旬にプロ志望届を提出。2017年度のドラフト会議の約半月前、放課後の市西宮で山本と話す機会があった。
山本は「プロに入れたら、身長が低いことで注目されると思うんですけど、それを気にさせないくらいのピッチャーになりたい」と力強く抱負を語った。そして「高校2年の秋以降は、練習、トレーニングをチームの誰よりもガムシャラに手を抜かずに質よく、たくさんやり切ることを強く意識していましたが、最後までやりきれました!」とはにかんだような笑顔で続けた。
「走るメニューではチームで一番長い距離を走るためにスタートラインからこっそり数歩下がってスタートしたり、回数のあるトレーニングメニューでは誰にも知られないように、1回でも2回でも周りよりも多くこなすようにしてました。やっぱりそうしないと周りと差ってつかないと思うので……」
大飛躍のなによりの裏付けを聞けた気がした。
プロでの成功を確信させてくれるような告白エピソードだった。
文=服部健太郎(はっとり・けんたろう)