この小説のタイトルの“勇者”とはもちろん、阪急ブレーブスのことだ。ここには阪急ブレーブスに関係する人が登場する。球場で聞かせるダミ声の野次で親しまれた、私設応援団長の今坂喜好さん。通算代打本塁打27本の世界記録を持つ、高井保弘さん。3度の盗塁王に輝き、引退後も通訳などで活躍したキューバ出身のロベルト・バルボンさん。往年の阪急ブレーブスファンにはおなじみの人物である。
とくにこの小説での重要な人物は、バルボンさんであろう。米マイナーリーグでメジャーを目指しているときに来日。後にキューバ革命が起こり、祖国へ帰るのが困難となってしまったという。日本で結婚し、今も西宮に住んでいる。キューバのハバナと西宮、どちらもバルボンさんの、かけがえのない故郷となっていることが、小説のキーポイントだ。
阪急ブレーブスファンだった私がこの小説でぐっときた部分は、西宮球場の描写だった。球場の階段を上り、目の前に広がるダイヤモンドを見る瞬間。これは野球ファンなら誰でも体験する感動だろう。しかし、それよりもより深く感銘を受けた部分がある。それは阪急西宮北口駅から西宮球場までの線路沿いの道の記憶だ。
西宮球場への道のりの途中には、喫茶店や食堂などの店が並んでいる。その店の名前や、その場所の様子、うまそうなカレーのにおいなどの描写がこの小説にある。
ここを読んで一気に当時の記憶が蘇った。駅を降りてから、西宮球場へ到着するまでのワクワク感。そして西宮球場に行く途中で、食堂の店先に並んでいる弁当。どの弁当にするか迷い、買った弁当を持って球場に入るのだ。内野席で試合前の練習を見ながら食べる、焼き肉弁当のうまかったこと。そんなことが思い出された。
当時のパ・リーグはテレビ中継もラジオ中継も、ごくごくわずかだった。パ・リーグを楽しむためには、球場に行くのが一番だった。今はテレビやネットなどで、毎試合観戦できる。情報もあふれるほどある中から選ぶことができる。しかし、それでも野球場に観戦に行くということは、それだけで特別な体験だ。
球場への行き帰りのこと、球場での出来事、そして一緒に観戦した人とのこと。それらの思い出は貴重な財産だ。
プロ野球ファンなら、ぜひこの本を読んで、そして球場へ観戦に出かけて欲しい。きっと未来へつながる何かを体験できるだろう。
文=矢上豊(やがみ・ゆたか)
大阪在住の山本昌世代。初めてのプロ野球観戦は、今はなき大阪球場での南海対阪急戦と、生粋の関西パ・リーグ党。以来、阪急、オリックス一筋の熱狂的ファン。プロ野球のみならず、関西の大学、社会人などのアマチュア野球も年間を通じて観戦中。