日本シリーズも閉幕した今季のプロ野球。12球団ともに、来季に向けての歩みを進めている。その一つが監督・コーチ人事。オリックス福良監督代行が正式に監督就任することを含めて、来季は5球団の監督が替わる見込みだ。
監督が替わればコーチも入れ替わる。その中で、いち早く来季の首脳陣を発表した東北楽天ゴールデンイーグルスの、2軍監督に注目した。
監督の梨田昌孝を筆頭に大きく顔ぶれが替わり、心機一転、来季に懸ける思いが伝わってくる陣容となったが、メンバーを見ていた時に2軍監督のところで目が止まった。平石洋介。今季の1軍打撃コーチが、来季はファームで指揮を執ることになっていた。
平石洋介といえば、楽天が誕生した2004年のドラフト会議で指名された創設メンバーの1人。“松坂世代”で、PL学園高から同志社大、トヨタ自動車と渡り歩いて、念願のプロ入りを果たすも、そのドラフト指名順位は7位。お世辞にも期待されての入団とは思えなかった。
しかし低評価に反発するかのように、平石はイーグルスの新人では唯一となる開幕1軍入りを勝ち取る。そしてここからシンデレラストーリーがスタート! ……と思ったが、結果を残せず1軍と2軍を行ったり来たり。そして2011年で戦力外通告。失礼を承知で言えば、ルーキーイヤーの開幕1軍が平石のプロ野球選手人生のハイライトだった。
選手としての実績はゼロに等しかった平石だが、引退直後に楽天の育成コーチに就任。とかく監督やコーチに現役時代の実績を求めがちな日本プロ野球界からすると、育成部門とはいえ異例の抜擢に思えた。そこから2軍外野守備走塁コーチ、1軍打撃コーチ補佐、1軍打撃コーチとトントン拍子に昇格し、ついに2軍監督にまでたどり着いたわけだ。
最近は、生え抜き選手を2軍監督に据えて経験を積ませる「監督の育成」をしている球団を多く見受ける。そのトレンドからして、主要ポストを任され続けている平石が、近い将来、1軍監督に就任する可能性は高い。
今から17年前、平石は名門・PL学園高の主将として夏の甲子園に出場。そして準々決勝で、松坂大輔擁する横浜高と対戦し、今でも語り草となっている延長17回に及ぶ激闘を演じた。その中で平石は、三塁コーチャーズボックスからキャッチャーのクセから松坂の球種を見抜き、それを伝えることでチームメイトをアシストした。
主将として「チームを勝たせるにはどうすべきか」を思案した結果、たどり着いた方法。私は勝利への執念を感じずにはいられなかった。この「チームのために自分ができること」を考えられるキャプテンシーの持ち主が、東北楽天ゴールデンイーグルスの初代生え抜き監督になったとき、きっと黄金時代の幕が開かれるだろう。
文=森田真悟(もりた・しんご)
埼玉県出身。地元球団・埼玉西武ライオンズをこよなく愛するアラサーのフリーライター。現在は1歳半の息子に野球中継を見せて、日々、英才教育に勤しむ。